3歳の1年間の病院受診の記録 負担は母親に集中する(ほぼ愚痴です)

我が家には4歳になる発達障害の双子がいる。彼らは、とにかくよく病気になる。病院を受診すると、普通に「明日もまた来てください」と言われる。咳がひどいと、1日に2回受診し、吸入を受けることになる。

3歳の1年間は、驚くほど病院に通った。肺炎になり、初めて入院も経験した。3歳児がここまで病院通いすることが普通なのかどうなのかは不明だが、おそらく、かなり多いのではないかと思う。

そして、病院に連れて行くのは基本的に母親の役割となる。主婦だから当然かもしれないが、病院通いがあるからこそ、働けないとも言える。

どうして、父親はずっと変わらず普通に仕事を続けることができ、母親は断念せざるをえないのか・・・?我が家の受診記録を明らかにしつつ、考えてみたい。

 

 

3歳の1年間の病院受診の記録

☆双子兄、まひろの場合

発熱・咳・下痢・嘔吐・発疹・目やになどによる内科受診 72

3歳児健診で受診指示があったことによる眼科受診 1

外傷による受診 4

肺炎による入院 8

85

 

☆双子弟、まそらの場合

発熱・咳・下痢・嘔吐・発疹・目やになどによる内科受診 68

中耳炎による耳鼻咽喉科受診 4

植物の種を耳と鼻に入れて痛いと訴えたことによる受診 1

肺炎による入院 8

81

その他、33ヵ月より、喘息治療のためアレルギー科に月2日通院(ざっと20日

 

発達障害関連の受診

発達障害のための診察が数ヵ月に1

作業療法のリハビリ(OT)が月に2

言語聴覚療法のリハビリ(ST)が月に2

医療機関ではないが、療育施設への通所が週1

 

さて、この病院受診状況をどう考えればよいだろうか。発達障害以外の事柄で、おおよそ4日に1回は受診していることになる。

 

 

●病院受診の負担は基本的に母親に集中し、働きたくても働けない

☆まずは、結婚・出産・育児で仕事ができなくなる

ちなみに、私には、専業主婦願望はない。自分は自分の足で立っていたいと思う。他人の経済力に依存して生きるのはリスクが高いとどうしても考えてしまうからだ。配偶者が死亡したり、離婚したりすると立ち行かなくなる生活は不安でしかない。なので、正規雇用でしっかり働いていたいというのが基本にある。

 

しかし、結婚して、それまで働いていた会社に通うのが困難になったため、やむなく退職することになった。結婚後はひとまず非正規雇用の状態で1年近く働いていたが、双子を妊娠し、はやくから出血が頻繁にあったため、早々に退職を決めた。そして、退職後1ヵ月を待たずして、切迫早産のため、出産するまで3ヵ月以上入院することになった。

 

出産後の双子育児はかなり過酷だった。それでも、世間一般のように、1年経てば育児は落ち着き、保育所に預けて、働けるだろうと考えていた。今思えば、本当に楽観的だった。子どもが1歳になっても、2歳になっても育児は一向に楽にはならなかった。働きたいのに働けない・・・。ひどく行き詰まった思いで毎日を過ごしていた。

 

 

☆話はそれるが、仕事を辞め、専業主婦になるとどんな目に合うか

子どもが3歳のとき、服の購入をめぐり、夫と大きな喧嘩をしたことがある。

私は、産後、初夏から夏で2着、秋から春で2着、通年でパンツ2本をずっと着まわしていた。出産すると、体型の変化や活動のしやすさなどから、着用する服が変わる。産前の服はほとんど着られなくなった。

さすがに3年も同じ服を着続けると、色あせ、生地も薄くなってくる。そこで、夫に、5千円ほどの予算で服を買いたいと申し出たことがある。返事はこうだ。

 

「働いて買って。」

 

えっ?と思う。

働ける状況だと思うのだろうか?

「(自分が)休みの日に、スーパーのレジをフルですれば、余裕で買えるでしょ。」

そして、ここぞとばかりに言う。

「化粧品も100円ショップのにして。美容室も15分でカットしてくれる1200円の店にして。」

 

確認しておく。我が家は経済的に余裕があるわけでは決してない。が、赤字家計でもない。夫はお菓子に毎月5千円ほどは使い、結局1度も着なかったジーンズを、わざわざ車で1時間以上もかかるショッピングモールに買いに行ったりもしていた。なので、5千円の服を渋られるとは思いもしていなかった。

 

私 「あなただって、時計を買ったりしてたでしょ。」

夫 「働いて、ボーナスが出たから買った。あなた、ボーナス出たの?」

 

本当に頭にくる言い方だ。経済力を盾に、夫に支配されていると強く感じた。

しばらく後に、子どもの服を買い、レジで5千円ほど支払いながら、自分はこの額の服を買うこともできないのだと、悶々とした気持ちになった。

どうして、こんなにみじめな思いをしなければならないのか?

働けないのは私のせいか?

夫は人目を大層気にする質なので、破れてボロボロになって、「恥ずかしいから、新しい服を買って下さい」と言うまで、着てやろうと思った。

 

 

☆出産後、病院受診やリハビリ・療育などの負荷がのしかかり、働きたくても働くことが困難になる

ここで、子どもの病院受診と私の就労に話を戻す。先の喧嘩の続きだ。

 

私 「私が仕事を始めたら、あなたは、子どもが病気の時に、仕事を休んで、病院に連れて行ったり、リハビリに連れて行ったりできるわけ?」

夫 「できない。」

私 「私がいるから、働けているんでしょ!」

夫 「はあ?」

 

そもそも、夫の出勤時間は、園が始まる時間より早く、子どもを園に送って行くことすらできないのだ。

「引っ越せばいいんだ」

と言うが・・・、残業が園終了の18時半を超える場合はどうするつもりなのだろう。病院受診も3歳の1年間で約100日だ。それも、リハビリや療育以外でだ。私がいなくても、自分の力だけで育児をしつつ、仕事を続けられると思っているのだろうか?やれるものならやってみろ、と思う。

とにもかくにも、夫には、仕事をしたくてもできず、それでもじっと我慢し、子どもの世話をしている自分の毎日をひどく軽んじられた気がした。

なお、夫が子どもを全く病院に連れていかなかったというわけではないことは補足しておく。2歳頃までは、比較的休みを取りやすい部署にいて、可能な限り仕事を休んだり、早退したりしてくれた。

 

夫は、結婚により、仕事を失うこともなく、苗字が変わることもなく、居住地も実家からさほど遠くなるわけでもなく・・・。

一方、私は結構頑張っていた仕事を手放し、苗字も譲り、実家からもそこそこ遠くなり・・・。

そして、双子の出産により、しかも子どもの発達障害により、就労の可能性はまったく見えなくなってしまった。発達障害児は、病院受診やリハビリ通いだけでなく、日頃の世話も何かと大変だ。育児だけで疲れ切ってしまう。

 

夫は言う。

「週2日、レジ打ちで充分でしょ」

でも、それは違うと思う。価値観ややりがいは人それぞれだ。何でもいいわけではない。職種や勤務形態を含め、どういう仕事を望むかは私の自由であるはずだ。どうして夫にとって都合のいいように働かなくてはならないのだろうか。

 

なぜ、当然のように育児の犠牲になるのは「私」なのか?世間では、労働者不足で、外国人の就労を緩和するなどと言っているが、働きたい人間が働けない状況は何とかならないのだろうか。

日本は、女性が男性と同様な働き方をすることをまったく想定していないと感じる。園が土曜の午後や日曜、祝祭日休みなのも、7時半から18時半までしか預かってくれないのも、女性の正規雇用での勤務形態が想定されているとは思えない。

私自身、土曜や祝祭日に勤務することはあったし、18時半に帰宅できていることがどれほどあっただろうか?女性でも男性並みに働かなければ、当然ポジションにはつけない。上を目指してどんなに頑張っていても、育児が人生に組み込まれた途端、多くを諦めざるを得なくなる。

前職においては、正規雇用で、育児をしている女性はおろか既婚の女性すらいなかった。前々職は、女性の多い職場で、既婚女性もチラホラいたが、残業はそれなりにあった。19時より早く帰れる日はまずない。ポジションにつくと、日付が変わることもざらだ。

お子さんが言うそうだ。

「お母さんは、どうしていつも僕が起きる時間に帰ってくるの?」

その方は、結局、定年を待たず、早期退職された。

こうした勤務状況で、園のお迎えに間に合うか?間に合うわけがない。さらには、「産休・育休中は勤続年数に含めない」とか、故に「昇給・昇進・ボーナスの支給はない」とか・・・。育児は働く上でハンデでしかない。そして、なぜ、その不利益は基本的に女性に降りかかるのか?これでは、少子化が止まるわけがない。

 

子育て中の社員(男女ともに)の残業を禁止するか、保育所や幼稚園、こども園が、夕食込みで22時まで預かってくれるようにするか・・・。そうでないとフルタイムでの共働きなんてできるわけがない、と思うのは、たまたま私が働いていた会社が悪かっただけだろうか?

 

 

☆結局のところ・・・

言い古された言葉ではあるが、結婚しても、出産しても続けられる仕事を視野に入れて、進学なり就職なりをするしかない。例え、いったん離職したとしても、その職に再び戻れるかどうかがポイントだ。そして、それが、経済的に自立し、夫の支配を受けず、尊厳を持って生きていく上で、堅実かつ最良の道なのではないかと思う。その点においては、私は人生を誤ったのかもしれないと思う。