妄想的に、プラスの側面から見る

私は結構「妄想」する。

物事の認知の仕方は自分次第だ。

「コップに水が半分しかない」

のか

「コップに水が半分ある」

のか・・・。

よく聞く話だ。

 

「水が半分ある」

という事実を、自分がどう捉えるのか・・・。

どうせなら、ポジティブに捉えたい。

 

 

私に、苦難に満ちた生活が始まる前のことだ。

その世界に向う前夜、薄暗い階段で派手に転倒した。

毎日のように昇り降りする慣れた階段で、いったいなぜ転倒してしまったのかは、まったくわからない。

まさに、「足をひっぱられる」ような感じだった。

 

靴のかかとも衝撃で取れてしまった。

夜中に立ち寄ったお店でボンドをお借りして接着。

そのまま目的の地に向けて発つ。

そして、その世界に飛び込み、結果、心身ともにボロボロになってしまったことがあった。

 

そこから抜け出して、何年も何年も経ってから思う。

階段から転げ落ちたあの時、

「行ってはいけない」

と何かに引き止められていたのかも、と。

ただの妄想だ。

 

そして、今、我が身に起きている

「育児上の困難」だが・・・、

こちらも、何か「意味」があるのかも・・・と思う。

①育児が大変で、就労できないことにより、何かを回避している

 

②苦労することにより、「己を高めよ」との何かの「意思」が働いている

 

③子どもの「健康」を気遣う内に、自身の健康も知らず知らず気にかけ、自身の「病気」を回避している

 

ざっと、「妄想的プラスの認知」だ。

②については、

「育児」により、何のスキルが身についたわけでもなく、私自身の「市場価値」などゼロに等しく下落してしまったが、「人」としては、鍛えられていると感じる。相当に。

「自分以外」の人間のために、こんなに頑張ったことなど過去にない。考えられないほどの「自己犠牲」だ。

 

③については、

子どもの食事を気にかけるあまり、自分自身の食事も次第に重視するようになった。気づけば、「お惣菜」を買うことがほとんどなくなっている。最近では、「プロテイン」まで飲み始めた。

 

発達障害」かつ「双子」の育児は、ストレスフルで、肉体的にも精神的にも常に「限界」にさらされている。

が・・・、

「プラスの側面」から捉えたい。

別に「妄想的思考」だったとしても構わない。ネガティブであるよりずっといいはずだ。

 

ちなみに、「今の育児の苦痛」は、階段から転げ落ちてスタートした生活ほどの辛さはない。

発達障害の子ども」を育てるための「メンタル強化」が、私自身の預かり知らぬところで、事前に図られていたのかもしれない。

 

ここまで、「妄想的プラスの認知」の話。

 

ついでに、少し「よい出来事」を記しておく。

小さな「プラス」に目を向け、すくい上げ、積み重ねておく。

これは、「闇」に落ちないひとつの方法だと思う。

 

①今日の夕方のまそらの「数字カード」の取り組みだが、4枚において、正答率が100%だった!

 

②先日、初めて私1人で、双子を連れて、総合病院を受診できた!

広大な院内を好き勝手に走り回るので、今までは1人しか連れて行ったことがなかった。まひろが診てもらっている間、まそらは、ちゃんと座って待つことがてきた。

こんな日が来るなんてね。

 

③耳がよい?

好きな英語の歌(童謡ではない)を歌おうと頑張る。「tonight」を聞き取り、「別の曲でも出てくるね」と指摘してきた。

電子ピアノの「ノクターン」と、私の車で聴く「ノクターン」は違う人の演奏であることに気づいた。

 

④藤川徳美先生の著書に出会えた。知人からいただいたのだが、そのおかけで、また一歩前に進めそうだ。

実はこの本。私の中で、購入順位はかなり低かったのだ。知人からもらわなければ、ずっと先まで手にしなかったに違いない。

 

⑤何だか知らないが、大きくなった。

5歳。ここまで無事に育った。

もう20kgを超え、抱っこなんてとてもできない。

「大きくなったなあ〜」は、

「幸せだな〜」と同義だ。

多分・・・。

 

 

きっと、すべては関係し、つながりあっている。

基本的に、イライラするばかりの毎日だが・・・、

大丈夫。

廻り廻って、きっときっと、うまくいく。。。