我が家には、小学2年生の双子の
兄まひろ(反抗挑戦性障害+多動傾向)と
弟まそら(ADHD+自閉症スペクトラム障害) がいる。
この4月、弟まそらは、特別支援学級判定だったものの、特別支援学級から通常学級に移った。
さて、先日、兄まひろの登校トラブルについて記事にした。
簡単にまとめると、
まひろが所属する登校班で登校しないので、
担任の先生が朝、集合場所まで確認に来られ、
正規の登校班で登校できないなら、安全のため、保護者が送ってきてほしい、
という話になった。
このとき、私はそんなことがそれほど重要なのかと思っていた。
暴力・暴言や
偏食、
勉強をしない・・・
そうしたことをまずは優先的に解決すべきなのでは?と思っていたのである。
しかし、そんなことはもはや問題ではなかった。
下校時に、先生より「正規の登校班で・・・」と言われた数日後のことだ。
担任の先生が確認に来られてから、まひろは本来の登校班で登校するようになり、私はまた集合時間に間に合わなくなったまそらと遅れて家を出たのだった。
そしてその日の下校時。
交通担当の先生に声をかけられる。
「まひろ君の今朝の登校のことでお話が・・・。」
そうして、交通担当の先生と担任の先生と私との3人で面談が実施された。
先生方のお話をまとめると、
・今朝、まひろ君が道の真ん中を歩き、車の通行を妨げ、危ないと地域の方から電話があった。
・登校班の児童を集めて話を聞いた。
・登校班の子たちによると、まひろ君は、
他の登校班で登校したり、
集合場所からいなくなってしまうので探し回ったり、
道の真ん中を歩いたり、
走行中の車に手を出して止めようとしたり、
赤信号なのに道を渡ったり、
交差点で道に向かって他の子を押したり、
しているとのことだった。
・安全の確保が大事。
・保護者が送ってくるようにして。
・学校でも迷惑行為が増えている。
・暴力や暴言が出てきている。
というようなことだった。
ギューッとストレスがかかる。
交差点で他のお子さんを押すとは何事か。
許されない。
本来の登校班で登校させられるのが、そこまで気に入らないのだろうか。
どこで育て方を間違ってしまったのだろうと思う。
迷惑をかけるばかりの子たちですみませんと、どこでもいつも謝ってばかり。
社会にとっては、この子たちの存在そのものが迷惑なのだ。
そして、そうなってしまったのは私が適切に育てられなかったせいだ。
本人が愚かなことをして痛い目を見るのは自業自得だが、
他のお子さんを巻き込むのは断じて容認できない。
当然、必ず私と一緒に登校させることを決める。
我が家は、弟まそらの食事が登校班の集合時間に間に合わなくなることが多く、まひろだけが先に家を出て行くことが多い。
私の目の届かないところで、そこまでアホな行動をとっているとは夢にも思っていなかった。
どのようにまひろに告げるのがよいのか迷う。
厳しく叱責する。
やめるよう懇願する。
優しく説得する、などなど・・・。
どれも彼に届くような気はしない
結局、淡々と事実を告げた。
「登校中に危険な行為が見られると学校に近所の人から電話があったとのこと。
先生方が登校班の子たちに確認し、あなたが色々と危ない行動をしていることが明らかになった。
なので、今後、保護者が送り迎えすることが決定した。
まそらが集合時間に間に合わない日は、登校班で登校することはできない。
あなたの意思がどうであれ、学校の決定だから逆らうことはできない。
他の子を危険にさらすなんてもっての外。
もし、万が一死なせてしまうようなことがあれば、決して許されないし、あなたの人生も終わってしまうことになる。
今の小学校に通うこともできなくなるだろう。
浅はかな考えで、好き勝手に行動すればするほど、自由と快適さはなくなっていく。
暴力や暴言、人の持ち物を隠したり・・・、人が嫌がることを一生懸命にするのではなく、やるべきことをやりなさい。」
社会をなめきっている彼の心に届いたとは思えない。
子どもだからといつも守られていることが彼を傲慢にしている。
たとえば、
大人に暴力をどれだけふるっても、やり返されることは基本的にはないし、
自分が暴力をふるわれた場合は、先生に泣きつけば助けてもらえるし、
どんなに問題行動を起こしても、食事は必ず用意され、着ていた服は洗濯されて、
授業で必要となれば、次々ものを壊したり失くしたりしても、すぐに新しく買ってもらえるし、
結局、何をしても、彼自身に不都合なことが降りかかってくることは決してないのである。
注意されても「うるさい、死ね!」とこぶしを振り上げて叫んでいればいい。
安心しきって、暴力がふるえるし、物が壊せるのである。
罰は必要だと私は考える。
強力なデメリットの発生が、問題行動を抑止する。
だから、罰金や死刑が存在するのだ。
だが、子どもには罰を与えようがないのが現代社会だ。
ねじが外れてしまった子どもは、家庭でも学校でも対処することができない。
「虐待」だということになり、強い姿勢で臨むことができないのだ。
特に学校は、強い指導の結果に対する責任もとれない。
もはや、犯罪を犯し、警察のお世話になり、少年院に行くまで、どうすることもできないのではないかと思ってしまう。
強い危機感の下、何が何でも未然に防ぐという強い対応をとるところはあるのだろうか?
きっとないに違いない。
とにかく、どこも事が起こってからで、可能性で動くことはない。
弟まそらについても同じだ。
昨年度、通級指導教室も保健室も利用を渋られ、特別支援学級へ誘導されたが、
いざ不登校にでもなろうものなら、途端に、
「保健室でもいいから学校においで」
と声がかかるのだろうと思う。
こうやって書いていて、私も少々精神状態がおかしくなりつつあるのかもしれないと自覚する。
極端な状況下において、バランスのとれた適切な思考を維持することは難しい。
こういうときは、方向を誤らないよう第三者の意見を聞くべきだと思う。
「相談」による「アドバイス」は期待していない。
方向性が明確になるような客観的な「意見」がほしい。
だが、「教育」に携わる人は、きっときれいごとの一般論に終始するに違いない。
たとえば、「繰り返し、何度も説明して、言って聞かせましょう・・・」とか。
耳がふさがっている人間に何を言っても無駄だ。
効果のない方法をとっても意味がない。
実際のまひろを見て、世間様からの批判を恐れず、本気で臨む組織・機関ははたしてどこかに存在するのだろうか。
少年院に入ることになる前に、彼の問題行動をどう止める?
ひとつは、環境だと思う。
法に縛られ、家庭も小学校もぬるい。
親の元で甘えて生活するのではなく、厳しい規律の中で生活する。
自分の傲慢な考えが、通用しないような場所で生活する。
外に出さなければならないのではと思う。
育てる能力のない人間が子を産むと、子どもにも社会にも迷惑になるのだと痛感する。
結局、私が悪いのだ。
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