お盆に思ったこと 〜幸せの足音〜

お盆。

お墓参りをし、「時間」というものに思いを馳せる。


生まれて、死んで、生まれて、死んで、生まれて、死んで・・・。
果てしないほどの昔から、命が繋がれて、今、私が存在している。

 

そして、私も子を産み、やがて息絶える。

私の子どもたちも、子をもうけ、いつかは息絶える。

その子ども(孫)も同様だ。

「どうせ、死ぬのにねえ・・・。」
と、自分の人生が、軽く感じられることもある。
しかし、「どうせ生きる」なら、楽しく幸せな方がいいと、私は思う。

 

 

これから、40年、50年と年が過ぎ、その時、まだ私が息をしていたとして、きっとこの「音」を何度も何度も、懐かしく思い出すに違いない。

例えば、外出時、どこかのお店に入ると、子どもたちは大抵夫にベッタリだ。なので、私は1人で、好きに店内の商品を見て回る。

そんな時、しばらくすると必ず、背後から「音」が聞こえてくる。軽やかで小さな「足音」だ。歩幅が小さく、テンポが速い。すぐに子どものものだとわかる。

「お母さーん」

と声がして、私めがけて駆け寄ってくる。走る必要など全くないのに、満面の笑顔で、駆けてくる。そして、歩きにくいほどに、私にまとわりつく。

いつまで、この「音」を聞くことができるだろう。私のもとへ、一直線に近づいてくる愛おしい「足音」。

大変な思いをして、日々世話をしていると思っているが、与えているだけでは決してない。子どもたちからも、私は確かに受け取っているのだ。

遥か先の未来でも、この「足音」を思い出すたびに、私は穏やかで優しい気持ちになるに違いない。
わずか4歳にすぎない彼らから、老いた先の私は、既に沢山の「幸せ」をプレゼントされている。

あなたたちにも、沢山の幸せを。
そして、心からのありがとうを。