さすがに、確定申告の手続きは終了したが、先の記事に続き、もう1つ独り言をアップする。
「マーガリンは毒なので食べません」給食での生徒の一言 先生の投稿をきっかけにSNSで食の安全性が議論に(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース
について。
「僕は専門家では無いので、マーガリンの安全性については判断ができない部分があります。しかし、給食のメニューは栄養士や調理員など複数の専門家によって決められているものです。それらの専門家の判断を、僕は信じると言ったのです。この世界のすべての事象に通じる専門家なんていません。だからこそ、それぞれの専門家の判断を信用しないといけないのです。僕は学校に勤める人間です。だから、学校の給食を司る専門家たちの判断を信用しています」
違うと思う。
自分にとって必要だと思われることは、自ら学び、正しい知識を得なければならない。
文科省も、
教育に求められているのは,子どもたちに,基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力などの[生きる力]をはぐくむことである。
としているではないか。
専門家が言っていれば何でも信じるのか。
「信用しないといけない」のか。
そこに、
「自ら学び」はあるのか、
そこに、
「自ら考え」は存在するのか?
そこに、
「主体的に判断し、行動し」の実践はあるのか?
他人に判断を任せることは、自分で責任を持たないことと同じ。
「僕は学校に勤める人間です。だから、学校の給食を司る専門家たちの判断を信用しています。」
とは。
全く理解できない。
知らないこと、わからないことは、「専門家」の言うことを鵜呑みにするのか?
ならば、二人の専門家が、異なることを言った場合はどうするのか?
たとえば、
コロナワクチンは、
安全である。
安全ではない。
このような場合、いったいどうするのか?
自分で、調べて、考えるべきでは?
もちろん、自分で調べるにも考えるにも限界はある。
しかし、それでも自身がやれる限りのことをすべきでは?
「学校に勤める人間」であるなら、自らも「学習指導要領」に則り、範を示してはどうか。
自覚する。
近頃、私は攻撃的だ。
特に、教育機関に対して。
イライラしている。
顔や態度に出ないよう気をつけなければと思う。
書けば少しスッキリ。
さあ、次のことをしよう。