我が家には、小学1年生の双子弟、まそらがいる。
彼は、ADHD+自閉症スペクトラム障害で、
現在、特別支援学級の情緒級に籍を置いている。
特別支援学級でのトラブルについて、これまで、
①朝、教員がいない
②交流級で受ける教科が入学前の説明と異なる
③上級生から暴力をふるわれる
と進めてきたが、今回は、④として、まそらの「自尊感情の低下」について記す。
●双子兄、まひろが、弟まそらをバカにする
8月、夏休みのことだ。
双子兄、まひろが言う。
「まそらよりオレの方が賢い。だってまそらは支援学級だから。」
即座に否定する。
「まそらは賢くないから支援学級なのではありません。テスト(WISC-Ⅳ)の点数も同じだったし(実際はまそらの方が低かった)。授業中にウロウロするでしょ。だからなの。」
それを聞いてまひろが言う。
「それって、結局アホってことでしょ。」
ムムム・・・。
それは、そうであるのだが。。。
これ以降、まひろができずに、まそらができているときを、都度つどすくい上げ、
「あれ?まひろは、まそらより賢いんでしょ?まそらはできてるのに、まそらより賢いはずのまひろは、どうしてできていないのかな〜?」
と、執拗に言うようにしたのである。
実際は、まひろができていて、まそらができていないケースの方がはるかに多いのだが、それはあえてスルーする。
結果、まひろがまそらを知的な意味合いでバカにすることは次第に減っていった。
まひろは、まそらが知的に劣っているのではなく、行動面に問題があるのだと認識を改めたようだ。
が、言われたまそらの方はどうか?
特別支援学級=人より劣っている
という感覚が、強烈に印象づけられてしまったのではないか。
常に一緒にいる身近な存在から見下されるという経験は、彼の自尊感情を大きく低下させたに違いない。
そして、厄介なことに、挽回することが大変に難しく思われるのである。
●特別支援学級を理由に自らレベルを下げる
2学期が始まった9月。
宿題のプリントに落書きをしているまそらに、兄まひろが言う。
「そんなことしたら駄目だよ!先生に怒られるよ!」
これに対し、まそらが言う。
「まそら君は、支援学級だから大丈夫。」
いやいや、大丈夫なわけあるかー!
と思うが、こうした細かいことまで注意していると、それこそ朝から晩まで彼を叱ることになってしまう。
なので、宿題はしてさえいればひとまずはOKとする。
その他のことでも、本来なら叱らなければならないようなことをよしとすることが、我が家には結構ある。
宿題プリントだけでなく、教科書にも落書きをするとか、物をあるだけ全部使ってしまうとか、何でもすぐに失くすとか、トイレを流してないとか・・・。
こうしたことは、注意しないか、しても軽いものにとどめている。
キリがないのだ。
が、しかし・・・、
宿題プリントへの落書きが気にならないわけではない。
「支援学級だから大丈夫」って何?
特別支援学級に在籍している自分は、よくないことをしても大目に見てもらえる
特別支援学級に在籍している自分は、学年相応のことができなくても大丈夫
そんな甘えた考えを持つようになってしまったとは・・・。
宿題プリントへの落書きは一例で、これ以降、「支援学級だからいいんだ」と言うことが、他にもちょこちょこ見られるようになった。
まそらは、特別支援学級であることを理由に、自らハードルを下げてしまっているのだ。これは大問題だと思う。
おそらく、特別支援学級にて日頃よりハードルを低く設定されているからそうなるのだろうと思う。
つまり、少なくとも、まそらが籍を置いている特別支援学級では、本人の「能力をその可能な最大限度まで発達させること」が、残念ながら、なされていないということだ。
そうして、兄まひろは、
特別支援学級とは、程度の低いところだ
という認識を密かに深めていっているのではないだろうか。
☆参考までに
障害者の権利に関する条約
第二十四条 教育
1 締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現するため、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保する。当該教育制度及び生涯学習は、次のことを目的とする。
(a) 人間の潜在能力並びに尊厳及び自己の価値についての意識を十分に発達させ、並びに人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。
(b) 障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。
(c) 障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。
青太字はrumraisinnによる。
●小学校で特別支援学級を理由にバカにされる
10月のことだ。
特別支援学級の前の廊下を通りかかった女子児童(学年は不明だがおそらく1年生)が言う。
「まそら君って支援学級なの?」
自分とは違う人種だと定義づけたかのような口調だった。
聞いたまそらの顔がこわばっていた。
その女児が行ってしまった後、まそらが言う。
「まそら君は、テストで支援学級に行く力しかないってなったの?」
いたたまれない思いがした。
実際のところ、その通りなのだが、「そんなことないよ」と彼に言う。
そして、11月。
下校時のことだ。
兄まひろのクラスの女の子が、まそらの前で言う。
「支援学級ってどんな人が行くとこか知ってる?迷惑な人、きちんとできない人が行くところなんだって。」
子どもというのは、悪意なく、はっきりとモノを言う。
いったい私はどうフォローしてやるのが正解だったのか?
こうしたことは、特別支援学級に行かせなければ生じなかったことだと思うのだが、どうだろう。
学校側は、こうした起こりがちな問題について、いったいどのような対策を講じているのだろうと思う。
☆参考までに
第二章 障害者の自立及び社会参加の支援等のための基本的施策
(教育)
第十六条
3 国及び地方公共団体は、障害者である児童及び生徒と障害者でない児童及び生徒との交流及び共同学習を積極的に進めることによつて、その相互理解を促進しなければならない。
青太字はrumraisinnによる。
●自尊感情の低下について
「特別支援学級」の文字や存在が、彼の全身を包み込み抑えつけている・・・。
そんなイメージだ。
天井が低すぎて、つかえてしまい、伸びようとしても伸びることができない。
もちろん、「通常学級」で、露骨に「できない」ということが明らかになり、自尊感情か低下してしまうことも大いにあり得ることだとは思う。
しかし、それは、「支援学級」だからバカにされるのとはまったく意味合いが異なる。
「通常学級」で生じるトラブルは、まそらのこれからの人生においても、常に起こりうるトラブルであり、前向きに解決をしていくべきものだと思う。
つまりは、逃げたり避けたりすることなく、正面から乗り越えて行かなければならない問題なのだ。
だが、「特別支援学級」に在籍することによって生じるトラブルの数々は、彼が受けるダメージに見合うだけの前向きな意味を有するだろうか。
ただただ無駄に彼を傷つけているだけなのではないだろうか。