特別支援学級でのトラブル⑤〜在籍させる必要性が不明〜

我が家には、小学1年生の双子弟、まそらがいる。

彼は、ADHD+自閉症スペクトラム障害で、

現在、特別支援学級の情緒級に籍を置いている。

 

 

さて、、、

「一人一人を丁寧に見ることができる」

 

入学前に、そう説明を受けたはずの特別支援学級なのだが・・・。

 

果たして、

丁寧に見てもらえる=子どもが伸びる

は、成立するのだろうか?

そもそも、「特別支援学級」というのは、丁寧に見てもらえるところなのだろうか?

まそらの場合はどうであるのかについて考えていく。

 

まずは、入学してから今に至るまで、担任の先生より、どのような指摘を受けてきたかを振り返る。

 

●4月の懇談会にて

既に、先の記事にて何度か記しているが、4月、懇談会が開かれた。

特別支援学級の担任の先生から、

・どこかに行ってしまうので、目が離せない。

・ルールが頭に入っておらず、なぜ教室にいなければならないかがわからない。

・着替えが遅く、支援が必要。

・指示通りに動けない。

・交流級では、思ったことを大きな声で話してしまう。「1の声で」と言うとできる。

・通常学級でやっていくには、

 自席に座っていられる

 先生の話が聞ける

 わからないときに、それを先生に言える

ようになる必要がある。

と、言われた。

いずれも、想定された範囲内の問題行動だ。

 

続いて、交流級の担任の先生からは、

・体育の授業中に体育館から出ていってしまうことがあった。

と言われた。

 

 

●5月の下校時のこと

5月に入ったある日の下校時のことだ。

担任の先生より、

・スイッチが入るまでに時間がかかる。

・やっていることがやめられない。

と言われる。

 

 

●6月の面談にて

6月。5年生男児からの暴力についての面談が開かれた。暴力行為以外に、まそらの日頃の様子についても話がなされた。

担任の先生より、

・調子のよいときは体育でシャトルランができたが、悪いと体育館から出ていくこともある。

・時計が作りたくて授業が受けられないことがあった。やりたいことをやって満足を得ればその後は頑張れる。

と言われる。

 

 

●6月の下校時のこと

6月のある日の下校時のことだ。

担任の先生より、

・相手が嫌がるのを無視して何度も名前を呼び捨てにした。人が嫌がることが理解できていない。

と言われる。

 

 

●7月の面談にて

7月。1学期末の面談が開かれた。

担任の先生より、

・時間通りに行動することが難しい。

・休み時間にしていることがあると授業が始まっても切りかえられない。「○○になったらやろう」と提案して、授業内容に取り組むようにしている。

・不器用で、ハサミを上手く使えない。

・着替えが遅い。給食では、エプロンを着終わったときには、用意がすべて終わってしまっているときがあり、給食準備は参加できるときとできないときがある。

・交流級では、担任の指示で動くのは難しい。興味のあることは他の児童と一緒に頑張れるが、興味がなかったり、気が向かないときはやれない。他の児童と同じように頑張れるときもあるが、ウロウロするときもある。

と言われる。

 

 

●11月の面談にて

11月、2学期末の面談が開かれた。

次年度、特別支援学級の判定となったと伝えられる。

担任の先生より、

・給食当番の役割が自分だけではやれない。

・エプロンを自分で着られないが、声がけをし、手伝ってだいぶできるようになってきた。

・予定が変わると、その後やるべきことに向かいたがらない。

・やる気を自分でコントロールするのが課題。

・教室から出て行ってしまう。

と言われる。

 

 

●12月の面談にて

12月、次年度の特別支援学級についての面談が開かれた。

担任の先生より、

・着替えに時間がかかる。手伝いながら着替えさせる。5分では間に合わず、体育の後など10〜15分、次の授業に遅れる。

・区切りをつけるのが難しい。「自立活動」の物作りを途中でやめることができない。支援教諭に抱えられながら交流級に行く。

・交流級では、気になることがあると途中でも話し始め、やめるように伝えてもやめられない。「1の声で」と言うとできる。

・授業の大半は歩き回るなど、授業と関係ない行動をする。

・教室から出て行く。面白くないなど本人なりの理由はある。

・リフレッシュタイム(長めの休み時間)が行事などで短くなると不安定になり、次の授業に参加できない。

・全体の指示で行動できない。自分のやりたいことがしたい。満足した状態のときは、やれるときもあるが、やるべきことに向かう気持ちになれない。

・こだわりがある。虫が嫌で、虫を見て絵を描くことができない。教科書の特定のイラストを嫌がり、該当ページを開きたがらない。

・特別な配慮をしなければ全体の中では難しい。次年度、教室にいられるかどうか。2年生は通常だと支援員がつかない。どこかに行ってしまった場合、行く場所を決めたとしても、受け入れの問題がある。ウロウロしている時間は無駄になりもったいない。

・やりたいこと以外はやらないので、やる気をどうやって出すか。45分の座学は難しい。

と言われる。

 

 

●12月の2回目の面談にて

特別支援学級希望から一転し、通常学級希望へ変更。特別支援学級で受ける教科が入学前の説明と異なる点について説明を求めたための面談。

 

担任の先生より、

・交流級では、全体の指示が聞けない。やりたくないと向かえない。

・自己肯定感が低いところが気になる。ちょっとした失敗や注意が受け入れられない。

・していることが邪魔されると感情のコントロールができにくくなる。

・時間を守ることが難しい。

・やりたいことをやめられない。

と言われる。

 

 

●「○○できない」と言われ続けてきたが

4月より振り返る。

担任の先生からは、主に、

・全体の指示に従って行動できない。

・行動が遅い(主に着替え)。

・時間を守れない。

・切り替えができない(やっていることがやめられない)。

・授業中に立ち歩く。

・教室から勝手に出ていく。

・やりたいこと以外はやろうとしない。

・こだわりがある。

といったことを言われ続けてきた。

どれも、まそらのような子どもにはありがちな問題行動だと思う。

 

で・・・?と思う。

そのありがちな問題行動に対して、いったい、どのような指導がなされてきたのデショウカ?

 

まそら君は、

あれができない

これができない

それができない・・・・・。

とおっしゃるのだが、、、

えーっと・・・、「先生」デスヨネ?

それも、「特別支援学級」の「先生」デスヨネ?

どうして、できるようにならなかったのデショウカ?

極めてありがちな問題行動だと思うのデスケド・・・。

 

特別支援学級は、学習指導要領上は「生活・学習上の困難を克服するための指導」がなされる場となっている。

さらには、「個別の指導計画」及び「個別の教育支援計画」というものが作成され、それに基づき支援・指導がなされるところでもある。

 

4月の時点で、明らかになっていた問題行動の数々。

なぜ、12月になっても変わらず改善しないのか。

 

そこで、12月の面談では、担任の先生に、

「4月よりできないと言われ続けてきた。どのような指導がなされた結果、なぜできるようにならなかったのかを教えてほしい。」

と、お尋ねしたのである。

 

担任の先生からの返答は次の通りだ。

・課題の内容により、やりたいことであればスムーズにできるが、やりたくなければできない。

・自分で決めてやるときは、やれるときもある。

・気持の安定を欠くと、その後崩れる。

・見通しを持たせて、したいことができて、満足を得たときは、声がけが入りやすい。

・本人が好きなぬいぐるみのキャラクターのカードを使って励ます。

・今は使用していないが、タブレットで地図を見るのが好きなので、好きな場所をコピーしてもらえるといったご褒美で頑張れる。

 

うーん、、、

そうではなくて、

①どういった支援・指導計画が立てられ、

②どのような取り組みをし、

③なぜ改善しなかったのか

を知りたいのだが・・・。

 

 

特別支援学級に在籍して、果たしてまそらは伸びたのか?

素人なのにおこがましいが、もし、私が「特別支援学級」の「教員」であったなら、

①課題の把握

②短期の目標

③今年度の目標

④目標達成のための方法

を最初に検討し、要所要所で振り返り、目標の再設定や、方法の再検討を行うだろう。

もし、家庭でできることがあればそれも検討するに違いない。

 

特別支援学級の先生からは、

・まそらの好きなネコのキャラクターを使う

・ご褒美

・声がけ

などを行っていると折々に説明を受けてきたが、それでうまく行かないなら、なぜ方法を変えないのだろうか?

 

私が思う「丁寧に見る」とは、例えば、

「○○が、問題です。

□□(「1ヶ月後」など具体的な期日設定)までに、

○○が解決するように、

△△の方法で取り組みます。」

 

設定された期日になったら、

「うまくいきました。

引き続きこの方法を継続します。

次の目標は〇〇です。

□□(期日)までにできるようになることを目指します。」

 

あるいは、

「うまくいきませんでした。

次は、▲▲に方法を変えて取り組みます。

□□(期日)までにできるようになることを目指します。」

 

そして、また、

「うまくいきました。」

あるいは、

「うまくいきませんでした。」

といったような連絡があれば、

 

ああ、丁寧に見てもらってるな。

特別支援学級の先生の指導力はさすがだな。

心強いな。

 

と思えるわけであるが・・・。

実際のところは、

「〇〇ができません」

と言われ続けているのだ。

 

結局、できなければならないことが、できるようにならないのであるならば、いったいなぜ、なんのために、大切な愛する我が子を「特別支援学級」に入れておかなければならないのか?

私は、そもそも通常学級にいさせたいのだ。

 

・「安全」に過ごしてほしい。

・丁寧に見てもらえる。

・希望すれば、通常学級で受ける教科を多く設定してもらえる。

・年度途中でも通常学級に変われる。

・先生や他のお子さんのご迷惑にならないように。

 

そう思って選んだ特別支援学級

安全か?

いやいや、5年生から暴力をふるわれているではないか。

 

丁寧に見てもらえる?

いやいや、登校後から1時間目開始まで、放置状態ではないか。通常学級には教員がいるというのに。

さらには、何をご指導いただき、いったいどう伸びたというのか?「できない」と言われるばかりではないか。

 

通常学級でたくさん過ごせる?

いやいや、結局、大半を特別支援学級で過ごしているではないか。

・・・・・・・・。

 

繰り返す。

まそらを「特別支援学級」にいさせるメリットはいったいどこにあるのか?

 

「通常学級ではやっていけないから」

そんな後ろ向きな理由だけで、まそらが伸びもしない環境を選択しなければならないのか。

ただ無難に漫然と一日を過ごすだけの「特別支援学級」であるならば、時間を無為に浪費しているだけだ。

 

少なくともまそらが在籍している「特別支援学級」は、まそらにとって「最適」な環境などでは決してないと私は思う。

 

 


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