私の親について、私が親であるということについて

我が家には、小学3年生の双子の

兄まひろ(反抗挑戦性障害+多動傾向)と

弟まそら(ADHD自閉症スペクトラム障害) がいる。

弟まそらは、今年度、昨年度同様に特別支援学級判定だったが、変わらず通常学級に在籍させている。 

 

 

結構記事を削除するのであるが、

今日の記事も、もしかしたら削除してしまうかもしれない。

 

さて、

私は、日々結構な時間を情報収集に費やしている。

近頃は、書籍の内容が正しく、ネット上の情報は不確かだというような考えを捨て去り、

得た情報を自身で考えるようにしている。

 

収集する情報は、

発達障害に関するもの

・栄養に関するもの

・有害物質に関するもの

・料理に関するもの

・投資に関するもの

が主となっている。

 

ところが、だ。

YouTubeというのは、一度見たものと類似したチャンネルが右側に表示されるようになっている(PCの場合は)わけなのであるが、、、

なぜか、

斎藤一人さんのチャンネルが突如として出現したのである。

なにー???となる。

表示されたのはこちら。

www.youtube.com

 

投資に関係のある話なのかな?と思う。

斎藤一人さんのお名前を見たのはこのときが初めてだった。

後に、「銀座まるかん」という栄養食品の会社の方だと知る。

で、ちょっと興味を持って、上記の動画を観ることとなった。

そして、上記のものだけでなく、そのままいくつかの動画も拝見したのだった。

 

スピリチュアルなことを信じるかどうかは置いておいて、

考え方として、

生きやすくなるなら、いいんじゃないの?

と思う。

 

・感謝する

・役に立つ

・許す

・・・・・etc

 

神様がどうとか、死後の世界がどうとか、

そういうこととは切り離して、

常に「ありがとう」の気持ちは持っていた方が、

不平不満ばかり口にしているより、

幸せな気持ちで生きていけるよね・・・

と思うのである。

 

で、一人さんの動画で印象に残っているもののひとつを今回紹介する。

www.youtube.com

 

「親は完璧じゃない」

 

 

私は母親が嫌いだ。

父も嫌いだったが、懸命に育ててくれたことに対しての感謝の気持ちはある。

そして、ようやく何某かのお返しをしたいなと思うこの頃である。

私が親を嫌いなくらいだから、子どもたちが私を好きに違いないといった思い込みは当然ない。

双子兄、まひろは、私のことが嫌いで、いつか私は彼に殺されてしまうかもしれない。

 

上記動画にて、斎藤一人さんは、

「親も未熟なのだ」

と言っておられる。

 

確かにそうだと思うが、

実のところ、私には今までそうした視点はなかった。

子ども時代、私にとっての大人は、何でもできて欠陥など存在しない生き物だった。

だが、当然、20代、30代の人間なんて、まだまだ未熟だと自分自身を鑑みて思う。

 

今でもおぼえているエピソードをひとつ。

幼少期、そう、小学校1年生か2年生頃。

我が家は共働きで、私は鍵っ子だった。

夕方にはアニメが放送されていて、

我が家のルールは30分だけ観てもよいというものだった。

で、うっかり、2番組を見てしまい、1時間の視聴時間になってしまったことがあった。

気づいて、「どうしよう!」と思う。

どっと、不安と罪悪感がこみあげてくる。

耐えきれなくなった私は、仕事中の母に電話をかけて事情を話し、謝ったのである。

「1時間見てしまった」と泣きながら謝る私に母は、

「今回だけよ」

と笑いながら言った。

どれだけほっとしたことか。

だが、この程度のことで、ここまで子どもを追い詰めてしまう親というのは、果たしてどうなのだろう。

 

そのときの母の気持ちを思う。

・悪いと思っているならいいわ。

・泣くほどだなんて、親の言いつけの重さをちゃんと認識しているのね。

といったところだろうか。

母の敷いたルールをちゃんと守らないことは悪いことだと思っている我が子への優越感的なものが感じられるのだが、ひねくれた捉え方だろうか。

 

母は、よく脅す人だった。

〇〇しないなら、食事を作ってあげないわよ。

〇〇しないなら、もう服は買ってあげないわよ。

〇〇しないなら、ピアノをやめさせるわよ。

・・・・・・・etc

 

私は母が大嫌いだった。

だが、きっと母もそのように育てられ、

私は、今、どうやって子どもに規律を守らせればいいのかわからず、

タガが外れてしまった我が子に途方に暮れ、

結局同じように、脅すことになっているのである。

 

お母さんの言うことを聞かないなら、私もあなたの言うことを聞かないわよ!

と。

 

父は父で、

自分の望む人生を歩ませようと強く介入してくる人だった。

常に常にネガティヴな言葉を吐く人だった。

「あなたには力がないからできない」と。

10代の私はそれに抗う強さがなく、結局人生を大回りすることになった。

だが、そのおかげで出会えた人もいたので、それはそれで悪いことばかりではなかったのであるが、

それでも、結局、後に自身の望む道へと軌道修正を図る中で、

多大な苦労をすることになったし、

健康を害するところまで行ってしまったこともあった。

 

父の介入は今も続く。

要は、自分と同じ世界で生きてほしいのだ。

父は自身の脳の得意分野を活かして仕事をしていた。

退職しても、場所を移して、何やらしている。

そして、そこへ今でも私は巻き込まれていくのである。

 

ただ、以前のような反発心や、恨みはない。

時間が経ったということだろう。

結局、私は、それ以降、私自身の選択により、後悔することが多々ありつつも、自分自身の人生を生きているからだ。

 

親も未熟な人間である。。。。。。

父も母も未熟だった。

だが、懸命だった。

 

そして、私自身も未熟である。

そして、同じく懸命にやっていると自分では思っている。

 

つまるところ、人は未熟なのだ。

「できた人」というのはいったいどれくらい存在するのだろう。

多くの人は、死ぬまで成長をとめないに違いない。

きっと死ぬまで、未熟でありつづけるのだ。

誰もがきっと一生懸命に生きている。

親も私も、そして我が子も。

 

いずれ必ず死ぬ。

幼い我が子たちも、

いつか青年になって、

おじさんになって、

お父さんになって、

おじいちゃんになって・・・・・

 

でも、彼らの最後までを、ずっとは見ていられないから、

今、彼らの一生を支えられるだけの愛を

自分には愛される価値があると

そういう気持ちを

持たせてあげないといけないのだと思う。

未熟な私にとっては、簡単なことではないが、注ぎ続ける。

あなたは何よりも大切なかけがえのない存在であると。

 

 

 

 

 

 

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