水鉄砲を捨てたい・・・

小さなことだとは思いつつ、このところどうにも思考から削除できないことがある。
「水鉄砲」だ。

f:id:rumraisinn:20190830232017j:plain


 

いきなりだが、話は逸れる。
もう随分昔のことだ。かつて、仕事ですっかり行き詰まってしまっていたとき、「人生の大先輩」が、Dカーネギーの『道は開ける』を薦めてくれた。結局、気力が続かず最後まで読み切ることはできなかったのだが、今でもなんとなくおぼえている。ざっくりとした感じで頭に残っているイメージは、

「考えても仕方がないことは考えない」

 

というものだ。当時の私には、これがなかなかできなかった。細々しい業務を担っていた私は、ミスをしていないかという「不安」に常に苛まれるようになった。そして、「正確」と「スピード」の狭間で日々追い詰められていったのだ。

D
カーネギーを薦めてくれた「人生の大先輩」の私に対する分析は、大変に的確だったと今でも思う。読み終えられないことを除いては・・・。

あくまで、その業務に限って言えば、その特殊性ゆえ、ミスをしていないかどうかなんて、わからないのだ。確認のしようがない。従って、業務を担う個々人が、ベストを尽くすしかなく、まさに、考えてもどうにもならない事柄なのだ。

今の私は、当時よりは、気を逸らすことが上手になったと自分では思う。自分を制御する術を身につけることも、自己成長のひとつには違いない。

 

 

さて、前置きが長くなったが、「水鉄砲」に話を戻す。
例えば、車の中に、木端微塵になって散らばった「セミの抜け殻」は、何とか「考えない」ようにできても、「水鉄砲」となるとなかなか難易度が高い。

 

「水鉄砲」とは言え、「鉄砲」だ。他者を傷つけるための道具の形状をしている。そうしたものが「おもちゃ」として存在していることが、私には理解できない。ナンセンスにしか感じられないのだ。

従って、私は「水鉄砲」の類を全く好まないのだが、外食した際、お子様セットについてきてしまった。

 

笑いながら、我が子が人に向かって水(銃弾)を飛ばす。撃たれた方も「キャーキャー」言って笑う。
全く笑えない私。

世間一般、広く出回っているこのおもちゃ。問題視する人間がさほどいないであろうことは明白だ。私の感覚はきっと極端であったり、ズレていたりするのだろうと自己分析してみる。かなりのマイノリティにあたるに違いない。しかし、受け入れられないものは、どうやっても受け入れられないのだ。

部屋に子どもたちが大量に持ち込んだ「セミの抜け殻」と同様に、「水鉄砲」も捨ててしまいたいと思う。しかし、お風呂タイムに、子どもたちは「水鉄砲」で楽しく遊んでいる。捨てるとなると、ひと悶着起こるのは必至だ。休日、2人を入浴させている夫だって「何故?」と理解を示さないに違いない。

「考えても仕方がないことは考えない」
久々に、この言葉が脳裏をよぎる。
いくら考えたところで、この世から、「水鉄砲」をなくすなんてことはできないのだ。従って、この件は「考えても仕方がない」事柄に相当するだろう。

しかし、、、
無理なのだ・・・。
どうしても「考えて」しまう。
このおもちゃを、少なくとも、我が家からは消し去りたい。

何か、波風を立てずに円滑に処分する方法はないものだろうか?


早くカビだらけになればいいのに・・・
と心の底から思う。