我が家には、ADHD+自閉症スペクトラム障害の双子弟、まそらがいる。
小学1年生で、特別支援学級(情緒)に籍を置いている。
●作業療法の情報を得る
1年ほど前に、1度耳にはしていたが、少し調べただけで終わっていた、とある作業療法の施設がある。
公的な認可のない施設だ。
噂では、
「月に数回しか受け入れがない」
「1人でされている」
「ものをはっきり言う人だ」
「個別のセッションで、健康保険は適用にならない」
「1セッション、5,000円」
など。
1年前、私が得ていたのは、この程度の情報だった。
今回、ひょんなことで、この作業療法士さんのもとに通うことを決めた。
ところで、
「療育」については、「人間性脳科学研究所」の澤口俊之先生が、否定的な見解を示しておられる。
なので、我が家は年中児の夏より、療育は一旦お休みをし、そのまま、引っ越しと就学により、契約が終了した形となっている。
発達の専門病院での、
「作業療法」と「言語聴覚療法」
については、休むことなく、それぞれ月2回のペースで続けていたが、こちらも就学に合わせて終了となった。
そんな折、今回通うことを決めた「作業療法」の施設について、
「この辺りでは1番高度なことをやっている」
と耳にした。
更には、
「運動により、ワーキングメモリを鍛えている」
「通っているお子さんは確実に伸びている」
「月に数回なので、空きがない」
とも。
何?
なに?
ナニ?
何ですと?
とりあえず、早速電話。
最も直近の日で予約。
すぐに「問診票」が郵送されてくる。その枚数6枚。
夜な夜な、母子手帳やら、自分の記録やらを見返しながら、ちまちまと記入。
そして、迎えた当日。
いったいどんなところなのか・・・。
●作業療法
まずは、問診票を見ながらいくつか質問をされる。
「発達の専門病院では、どんなOTを受けましたか?」
「学校での様子は?」
「家庭での学習は?」
「漢字は書ける?」
「足し算、引き算は?繰り上がりはできる?」
「テレビは見せない方針?」
「普段はどんな遊びを?」
などなど。
私だけではなく、サンライトスウィング(ブランコのような吊り下げ遊具)で、1人楽しそうに遊んでいる双子弟、まそらにも質問。
「何して遊ぶのが好き?」
「好きな漫画は?」
「テレビは?」
「ゲームは?」
などなど。
まそらが、あまり答えられないので、
「まそら、聞かれてるよ?」
なんて言っていたら、
「お母さん、ごめんなさい(黙っていて)。これも評価なので。」
と作業療法士さん。
質問が終わると、作業療法が始まる。
まずは、まそらをサンライトスウィングと直角になる向きで、腹ばいに乗るよう指示。
まそらの向きを基準として、前後にゆらし、床に置いた1〜2個のおもちゃを手で取るよう指示。
おもちゃが取れたら、サンライトスウィングから降りて、トランポリンに乗り、作業療法士さんが頭上に持っているカゴに、ジャンプして入れる。
できたら、ご褒美として、作業療法士さんがトランポリンで高い位置までジャンプさせてくれる。
この一連の流れを、床に置くおもちゃの位置を微妙に変えながら続ける。
横に2個並べたり、前後に置いたり、
あえてまそらの手が届かない位置に置いたり・・・。
次いで、
サンライトスウィングに乗って揺れた状態で、
「黄色くてつぶつぶした食べ物はなーんだ?」
と、まそらに質問。
まそらは、
「レモン?イチゴ?・・・」
などと言い、なかなか正解できない。
作業療法士さんが、黒い袋から、一瞬だけ取り出して見せるが、それでも「パイナップル?」などと答え、正解できない。
何度も見せてもらい、「つぶつぶだよ」と言われ、ようやく「トウモロコシ!」と答えることができた。
そして、床に置かれた「トウモロコシ」のおもちゃを拾って、トランポリンに行き、作業療法士さんが持つカゴに入れる。
次いで、
棒の先にマジックテープでくっつけたおもちゃを取る作業に移る。
まそらは、サンライトスウィングの上に腹ばいになったままではなく、立ち上がらないと取れないことにしばらく気づかない。
「寝てたら取れないよ〜」
などとヒントをもらって立ち上がる。そして、作業療法士さんが持っている棒にくっついたおもちゃを取って、トランポリンへ向かい、カゴに入れる。
こうしたことを繰り返して、この日のセッションは終了となった。
おそらく、
まそらへの質問で、彼のコミュニケーション力や言語力、注意力をみて、
おもちゃの置く位置で、彼の思考と運動との連動をみて(おもちゃを取るために、自らが移動することを考えられるか否か)、
サンライトスウィングに乗りながらおもちゃを拾い、トランポリンへ移動して、カゴに入れるという一連の作業を、記憶し、実行できるかをみて、
まそらの障害の程度を確認されたのではないかと推察する。
●作業療法士さんに言われたこと
作業療法が終わると、まそらを好きに遊ばせながら、私とお話。
以下、作業療法士さんより。
・言われていることが、聞こえていないわけではない。
・反応がないのは、返す言葉がわからないから。
・「わからない」などの言葉を言えるようにすることが必要。
・待っていれば、ちゃんと言われたことをする。
・言われたことを本人がやるまで、大人が我慢すること。
・指示に従わず、好き勝手に行動するときも、本人には何か理由があってそうしている。が、周りからは、突拍子もないことを始めたように見えてしまう。
・「〇〇なんだね」と気持ちを代弁してあげることが必要。
・発達の専門病院では、あまりいいOTを受けておられない。身体の動かし方がぎこちない。動作と頭がつながっていない。
・運動と記憶はつながっている。漢字を「書く」ことで覚えるように、運動することで記憶することは多い。
・澤口俊之先生の本は読んだことがある。テレビで言われていることには、エビデンスがない。ここでは、100%安全なことしかしない。
・伸びしろがある。これからとても伸びると思う。
・知能については、今回だけではわからない。
・作業療法を受ける頻度は、月に1回でよい。
●作業療法を終えて
まそらの心をキャッチするのが、異様にうまい人だと思う。
まそらをとにかくよく褒めておられた。褒めまくっていたと言っても過言ではない。
どんなにささいなことでも、ひたすら褒める。
当然、まそらは嬉しそうだ。
そうして、まそらの心を完全に捕らえ、鷲づかみにし、まそらは、普段からは考えられないほど、指示によく従っていた。
平素、人の話など右から左に聞き流しているように見えるまそらが、作業療法士さんの発言をしっかり集中して聞いている。それどころか、言われることを聞き逃すまいと、常に作業療法士さんに注意を向けているのだ。
スキルを超えて、才能だと思う。
作業療法を受けている間、まそらはずっと笑顔だった。楽しくて仕方がないのがよく伝わってきた。
帰宅時、まそらが言う。
「時間が短すぎる。次はいつあるの?」
これは、正直、舌を巻くレベルだ。
ここまで、まそらの集中を高め、注意を引きつけた人は過去にいないのではないかと思われる。
久々に、「プロ」を見た思いだ。
知識も経験もしっかり蓄えられている印象。
学校などで教えられたことを鵜呑みにして、漫然と作業療法をするのではなく、自分で効果を検証し、試行錯誤し、自ら新たに手法を編み出していくタイプの人なのだろうと感じた。
頭の中では、既に、まそらの今後の指導計画が、おおかた組み立てられているに違いない。
しかし、
「言われていることが、聞こえていないわけではない。」
は、どうなのかな?と思う。
確かに、聞こえているのに反応がないだけのように思われるときも、あるにはある。
年長児のときに記事にしたことがあるが、本人が自ら「無視している」と言ったことがあるからだ。
が、いつも意図的な無視をしているわけではないと思う。何かに気を取られているときは、きっと聞こえていないはずだと私は思っている。
そして、「澤口俊之先生の発言にエビデンスがない」というのも、どうかな?と思う。
作業療法において、1つだけ、澤口先生より「望ましくない」と言われている手法があり、それをお伝えした際、「エビデンスがない」とはっきりおっしゃった。
が、澤口先生が「教育相談」においてなされた話には、大抵、根拠となるデータが示されていたと私は認識している。
なので、「エビデンスがない」とするなら、「エビデンスがないことのエビデンス」を示してほしいと思ってしまう。
何を信じるかというのは、常に常に難しい。
そして、私にとって重要なのは、「エビデンスがあるか」ということではなく、実際に「効果があるか」、「安全であるか」という2点のみなのである。
今回の作業療法士さん。
前情報通りに、はっきりとモノを言われる。そこには、揺るぎない信念と、自信が見られた。
歯に衣着せない、ソフトさのない発言の仕方は、オブラートに包んだ発言と比して、誤解を生むことが少ないだろう。だが、神経に直接障る感じで、ちょっとしんどく感じたりもする。今後、耐性をつけ、慣れていかなければならないと思う。
次回の予約に際し、「土日は遠方の人を優先し、近隣の人は平日でお願いしている」とのこと。
どんなに遠くても、腕のいい人のところに、人は集まる。親は必死だ。よくわかる。
「出会い」というのは大切だ。
人でも、モノでも、情報でも。
待っていては駄目だ。
動かなくては。
1年前に情報を得ていながら、スルーしてしまったことが、今更ながら悔やまれる。
次は、9月。
次回は、家庭でできることについて、お聞きしてみようと思う。
●費用について
最後になるが、お値段は、1回40分で5,000円。
それに、初回費用3,000円が追加されて、計8,000円だった。
通年利用するなら、初年度は63,000円の出費になる。
いつものことながら、お金がかかる。