私が高校生のときの母の言葉だ。
親ばか発言であることは、最初に断っておく。
「美人薄命って言うでしょ。あなたは早く死んでしまいそうで怖いわ・・・」
結局、今のところ、早死にはしていない。美人ではなかったということだろう。
こうした思い込みの妄想というのは、遺伝なのか何なのか、私にも結構ある。
今頃?という話だが、子どもの園での運動会。
双子弟、まそらは、入場行進に現れず、その後の競技にも姿を見せなかった。
どこにいるのかと探しに行くと、加配の先生と土を掘って遊んでいた。
同じく園での発表会。
最初は歌だった。自分のいるべき位置に立ち、うろうろせずに歌っている。
よかったー!と思ったら、全く違う歌を歌っていた。しかも振りまでつけて。
その後の劇では、衣装に着替えることすらせず、劇の流れとは全く無関係に、ステージ上を1人で好きに走り回った。
おそらく、一般的な家庭では、
大きな声で歌えたね!
とか、
台詞をきちんと覚えられてすごいね!
とか、
〇〇の役が上手にできたね!
なんて話になるのだろう。
うちは・・・
そんなレベルには到底行きつかない。
その場にいられた
それだけでホッとした気持になる。
どうしてこうも、いつもいつも、こんな思いをしなければならないのか・・・
たまには「普通」を経験したい、と思う。
しかしながら、いつも思い出すことがある。
言葉が話せるようになった2歳くらいの頃だろうか?双子兄、まひろが、弟、まそらに向かって頻繁に言う。
「まそら、おいでー!」
まあ、大抵いつも、悪いことに誘っているのだが、まひろは、まそらによく「おいでー」と声をかけていた。
ちなみに、まひろは、まそらとは異なり、私の目には「発達障害児」とは映らない。
そして、私は、そんなまひろの姿を見て思うのだ。まひろが、
「おいで。大丈夫、一緒に行こう!」
と、まそらを私の元へ連れてきたのではないかと。
まひろは、自分も危ないことをしようとするのに、まそらが同じことをしようとすると「危ないよ!」と制止するのだ。
まそらも好きに行動しているようでいて、困るとまひろに助けを求める。
まひろが、まそらを連れてきたなんて、もちろん根拠のない妄想だ。
でも・・・
と思う。
もうひとつ妄想を。
双子たちは予定帝王切開で生まれてきた。
大量の出血に備え、「自己血貯血」をし、それでも足りない場合のために「輸血」の同意書にもサインをした。
横になり、自己血を採取している間、部屋の天井に飛び散った血液の跡をずっと眺めていた。
この部屋で、一体、何があったのだろう?
ずっと深刻に思ったことなどなかった帝王切開だが、予定の日が迫り、準備が進められる中、
「死ぬこともあるのかも・・・」
と漠然と思った。
「(私に)何かあったら、子どもたちをよろしく」
と、夫に念押しもした。
そして、生まれてくる子どもたちのために、念のため、手紙のひとつでも遺しておこうと思うようになった。
が、手術前夜のことだ。
なんとなく感じるものがあった。
なんとも表現しにくいのだが、
見えないエネルギーのようなもの?
見えないが、柔らかな光のようなもの?
が、病室の私のベッドの周りに集まっているような感じがした。
この子たちは、何かに守られて生まれてくる
手術はきっと上手くいく
大丈夫
根拠なく、そう思った。
そして、私は手紙を遺すのをやめた。
あの時のことを思い出すと、今でも少し涙ぐんでしまう。
これも、妄想にすぎない。
が・・・。
私は早死にはしていないし、
子どもたちは無事に生まれた。
まそらには、まひろがいるし、
まひろには、まそらがいる。
結局、大丈夫なのだ。
きっとなんとかなる。
私は私の最善を尽くせばそれでいいのだ。
妄想ながら、そう、、、思う。