子どもは3歳になるが、未だに睡眠不足の日々が続く。熟睡が妨げられるのだ。理由は主に以下の2つだ。
①双子弟、まそらの頭の打ち付け
②おしっこが漏れる
①の「頭の打ち付け」は、まそらが0歳のときから続いていて、なかなか深刻な問題だ。しかし、この件に関しては、またの機会に記すことにして、今日は②の「おしっこが漏れる」ことについて記載する。
オムツ外れが完了していない我が家の双子たちは、夜も当然オムツをして寝る。そして、使うオムツは当然のごとく「オヤスミマン」だ。きっと多くのご家庭で「オヤスミマン」は頼りになる存在として、重宝されていることと思う。
ところが、このところ、毎晩のようにおしっこが漏れて、夜中に起こされるという事態が続いていた。
例えば、23時頃に寝ている彼らのオムツを「オヤスミマン」に交換してやったとして、ひどいと1時半におしっこがもれる。3時頃のこともあれば、5時頃のこともある。服までびしょびしょになるので、眠い目をこすりながら、オムツを替え、服を着替えさせる。2人そろって漏れることも珍しくなく、夜中のオムツ交換に心底げんなりしていた。
いつも、オムツの前面だけが、ぱんぱんに吸水していて、後ろはさらさらのままの状態で漏れている。特に、まそらはうつ伏せの状態で寝ていることが多く、オムツの前面におしっこが集中している。おそらく1回当たりのおしっこの量も多くて、吸収が追い付かないという感じだろう。
何のための「オヤスミマン」なのか。「もっと頑張って、オヤスミマン」と思うが、どうにもならない。「オヤスミマン」に絶大な信頼をおいていただけに、途方に暮れてしまう。「オヤスミマン」が通用しなくなった打撃は大きかった。。。
何か手を打たなければと、まずは、「パンパース ビッグXL」を双子兄、まひろに試してみる。漏れた・・・。
次、ピジョンの「おしっこ吸収ライナー」という製品を、「オヤスミマン」にセットして、まそらで試してみる。漏れた・・・。
更に次、「ムーニー スーパーBig」を買ってみる。しかし、こちらの製品は体重18~35kgが対象で、まだ、18kgないうちの子たちにはどうだろうかと不安を感じた。
ところが、ナイスタイミングで、同日、夫が「メリーズパンツ ビッグより大きいサイズ」という製品を買ってきた。こちらは15~28kgが対象で、うちの子たちでも使用可能だった。早速、半ば祈るような気持ちで使ってみる。22時頃の交換で、ぎりぎり朝まで持ちこたえた!
やったー!
こうして、夜「おしっこが漏れる」という問題は、比較的スムーズに解決を見たのだった。
きっとこれで「オヤスミマン」とはもうお別れだろう。いくつかの「オヤスミマン」との思い出が蘇る。
とてもひどい下痢の時、普通のオムツでは、出たらそのまますぐに漏れ出てきた。結果、服も布団も何度もウンチまみれになった。そこで、昼間でも「オヤスミマン」を試してみる。子どもが「出た」と言ってから、オムツを替えるくらいまでの間は持ちこたえてくれた。さすが、オヤスミマン、と思った。とても助かったことを今でも覚えている。
よく行くビュッフェスタイルのお店では、まひろが毎回リンゴジュースを大量に飲むので、おしっこが頻繁に漏れた。そこで、やっぱり「オヤスミマン」を活用した。お店に入る前に、オムツを「オヤスミマン」に交換しておく。そうすると、食事をゆっくり楽しむことができた。ここでも「オヤスミマン」は頼りになった。
我が家では、「オヤスミマン」は、寝るときだけの存在ではなかった、寝るとき以外も随分とお世話になった。
ありがとう、「オヤスミマン」。
「オヤスミマン」のように、様々な優れた製品のおかげで、双子育児はここまでやってこられた。時に、自分だけが頑張っているような気になるが、そんなことは決してない。
「布おむつで、毎回洗わなければならなかったら?」
「ポットが無くて、毎回お湯を沸かしてミルクを作り、冷まさなければならなかったとしたら?」
「電子レンジがなくて、冷凍でストックしてある食材をいちいち鍋やフライパンで温めなければならなかったとしたら?」
他にも色々・・・。
きっと私は倒れていたに違いない。
「大変さ」だけに目を向けるのではなく、「感謝」の気持ちを持って周囲を見ることができたら、その分だけ穏やかな日常を手にすることができるような、、、気がする。
today's three-year-old twin♪
この数日、子どもが制服を着るのを、あえて手伝わないようにしていた。園の制服は大きなボタンが3つついている。双子兄、まひろは何とか自分でボタンをとめることができる。一方、双子弟、まそらは、とても不器用で、ボタンを自分でとめるのはなかなか困難な作業だ。それでも、私はほっておいた。
3日前、まそらは「とめて」と言いに来た。
昨日は、まひろに手伝ってもらっていた。
そして、今朝、「制服、ボタンとめなさいよ」と言いながら、まそらを見ると、ボタンはすでにとめられていたのだった。
まひろに聞く。
「まひろがとめてあげたの?」
まひろが答える。
「とめてないよ。見てただけ」
やっぱり、、、と思う。親の手の出しすぎは、本当に子どもの成長を阻害する。子どもにはできる力があるのに、できないと親が勝手に思って、さっさとやってしまう。そうして、子どもが自分で挑戦する機会を奪ってしまう。制服のボタンだけでなくて、気づかないところでまだまだ一杯ある気がする。
日々、時間に追われて、つい手を出してしまうが、何が大切なのか見失ってはいけない。園に遅刻しないことか?それとも、ボタンをとめることに挑戦することか?
何でも挑戦してみたいお年頃。ボタン1つでも、自分でできれば、自信になり、また次の挑戦へとつながっていく。将来、困難なことに挑戦できる人間になるかどうかは、今から積み上げられていくことなのかもしれない、と思う。