「ヨーグルトメーカー」で、我が家もついにR-1デビュー

●ありがちな記事になるのだが・・・

随分前になってしまったが、昨年9月、増税前の駆け込み購入に乗っかり、ついに購入してしまった。
アイリスオーヤマのヨーグルトメーカー(IYM‐014)だ。

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ヨーグルトを自作するにあたって重視したのは、とにもかくにも衛生面だ。子どもが口にするものには気を遣う。雑菌の混入は最少限に抑えたい。

ヨーグルトの作成方法はもちろん「取り扱い説明書」に記載されている。
しかし、どうすればより衛生的に作成することができるかを検討する。

ヨーグルトを作る乳酸菌は、グルコースを分解して「乳酸」を生成する。
ちなみに、乳酸発酵の反応式は下記の通りだ。

 

C6H12O6(グルコース)→2C3H6O3(乳酸)+47kcal

 

牛乳内に、この「乳酸」が作られ、牛乳のpHが酸性に傾いてくれば、雑菌は増殖しにくくなる。問題は、「乳酸」が作られるまでの時間をどうしのぐかだ。
そのために、何をするのかということなのだが、今回、調べつつ、下記のような方法をとった。


●可能な限り衛生的に作るために

①手をきれいに洗い、アルコール消毒する
これは、大前提だ。

②ヨーグルトを入れる前に、牛乳の温度を上げておく
「乳酸菌」が増殖しやすい温度に最初からしておくと、速やかに「乳酸」が作られ、雑菌の増殖を抑えられるはずだ。
電子レンジで未開封の牛乳パックをそのまま温める。
まずは40秒ほど加熱。電子レンジから取り出して振り、加熱むらをなくす。次いで、20秒加熱しては振るという作業を数回実施。
牛乳パックがほんのり温かくなったところで終了とした。
電子レンジを使って温めた方が、「ヨーグルトメーカー」で温めるよりもはるかに速く温められるのではないかと推察する。

③余計な器具を使わないために、ドリンクタイプを使用
通常のヨーグルトを種菌として使う場合、スプーンなどで容器から掻き出さなければならない。しかも、牛乳の中で、ヨーグルトが均一に混ざるよう、柄の長いマドラーなどで掻き回す必要がある。
こうした作業は、いくら加熱殺菌した器具を使っても雑菌混入のリスクがどうしても高まってしまう。
なので、ドリンクタイプのR-1を使用することにした。温めた牛乳パックの片側だけを、縁に手が触れないように注意して開封する。100mlの牛乳を他の容器に取り出した後、パックの口に触れないようドリンクタイプのR-1を全量注ぎ入れる。そして、口を清潔な指で挟んで振り混ぜた。

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私としては、①~③の方法で作成するのが、雑菌の混入及び増殖を抑える上で、ベターな方法だと思うが、もっとよい方法もあるかもしれない。

ただ、自分が食べるために作るなら、ここまでの手間はかけない。昔の人が、そこまで衛生的に作業したとは思えないからだ。以前、自分用にヨーグルトメーカーを使わずに自作したときには、もっと雑に作業したが、問題のない出来だった。

 

●お味は?

夜の9時半頃に「おまかせモード」でセットする。

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9時間後の朝6時半頃にタイマーがなって温めは終了した。
そのまま、冷蔵庫へ。
その日の夜、早速子どもたちといただく。

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気になるお味だが、初日はさほど酸っぱくもなく、まろやかだった。が、翌日になると少し酸味が増していた。
結局5日で食べきったが、その間、少しずつ酸味は強くなっていったように思う。
冷蔵庫内の低温下でも、「乳酸菌」は多少は発酵を続けるようだ。



●機能性は?

自作したR-1ヨーグルトだが・・・。

残念ながら、買ったものと同等の機能性は見込めないのではないかと思う。
菌には、それぞれに最適な培養条件があるはずで、ヨーグルトメーカーがR-1に最適な条件を作り出しているとは限らないし、使用する牛乳にしてもR-1に最適なものとは言えないはずだ。なので、機能性は買ってきたものより落ちてしまうに違いない。それでも、多少なりともEPS(多糖体)が生成されていると信じたいところだ。


●日持ちは?

気になるのが、日持ちだ。クリーンルームで作成したわけではないし、できたヨーグルトを牛乳パックから取り出す際に、スプーンを使うなどどうしても衛生的に作業できない。毎日味や匂いを確認しながら、5日で食べきることを目指した。


●自作すると、どれくらいお得なのか?

この辺りのスーパーでは、
ドリンクタイプのR-1(112ml)が135円。
1Lの牛乳が169円。実際に使用するのは900mlなので、152円。
なので、作成にかかる費用は、合計287円だ。
1012mlのR-1を購入するすると、単純計算で1,219円なので、自作した場合の方が932円お得ということになる。


●衛生面に配慮しながら、ヨーグルトを自作してみて

私は、夫が引くぐらい潔癖なようだ。自分でもきれい好きな方だとは思うが、夫からすれば病的なレベルらしい。

でも・・・、と思う。

肘までエタノールスプレーを擦り込んで、クリーンベンチに向かっていたこともあったいつぞやを思えば、今の私は随分「不衛生」に生きている。

基準をどこに置くかで、物の見方というのは随分変わる。「自分基準」を微調整しながら生きる。夫や周りがどう言おうが、私は私が信じることを頼りに生きていくのだ。

だが、何を信じるのか・・・。
これが、最近、結構難しい。。。

カメさん、さようなら。お世話になりました。

我が家には、「カメ」がいた。

それも2匹。

大きさは20cmほどか?

 

夫と結婚し、一緒に住むようになったある日、突然、バルコニーに「カメ」が出現していた。

1ヵ月も経っていない頃だったと記憶している。

 

「カメ」は、夫が結婚前から長らく飼っていた。

お店で買ったのではない。

その辺で、拾ったのだ。

出勤時、道路を歩いている「カメ」を見て、「危ない」と思ったらしい。

一体、どんな道を通れば「カメ」なんかに遭遇するのか?

謎すぎる。

が、とにもかくにも、夫は車を止めて、捕獲。

そのまま出勤したらしい。

会社のロッカーに入れていたらしいが、当然ながら、「カメ」は「ゴトゴト」音を立てるので、奇異の目で見られたとか。

まあ、そうなるだろう。

 

そして、その夫が愛してやまない「カメ」2匹だが・・・。

 

話が飛ぶ。

先日、双子兄、まひろが嘔吐した。

病院を受診すると、医師がおっしゃる。

「胃腸炎になる頻度が普通のお子さんの10倍以上です。原因もいつもよくわかりません。このままではいつか大変なことに・・・」

 

また、言われてしまった・・・。

手洗いをそんなに怠っているとは思わない。

なぜなのだろう?

 

続けて医師。

「イヌやネコは飼っておられませんよね?」

「はい」

「うーん・・・」

「あ、カメとヤドカリは飼っています」

「カメ?ヤドカリ?カメは原因になりうります。カメが原因だとは言いきれませんが、危険因子は排除してください」

「夫は、カメを愛しているんですけど・・・」

「わかります、わかります、家族ですから・・・。でも、危険因子はなくしてください」

 

というわけで、我が家の「カメさん」は、夫の実家へと出戻ることとなった。

一昨日、日曜のことだ。

 

子どもが生まれてからは、バルコニーから室内へと居を移していた「カメさん」。

我が家にとっての「カメさん」とは・・・。

 

まずは、まだまだもっと子どもが小さかった頃。あちこち歩き回られるのが嫌だった。何をするか、何を口に入れるかわからない。決まったスペースにいさせたかった。

なので、

「このお部屋から出ると、カメさんが、お尻を食べにくるよ!ジャンプしてガブッと噛みつかれるよ!こわいよ!」

と、「カメさん」を使わせていただいた。

 

今では子どもも少し大きくなり(年中児)、物静かな「カメさん」を恐れたりなどしなくなった。

仕方がないので、次の手を打った。

子どもがおもちゃを片付けなかったりしたときには取り上げるのだが、後で、まひろがどこに隠してあるのか探し回るようになった。

なので、

「おもちゃは、カメさんに預かってもらいました。甲羅の中にしまってくれています。ちゃんとするまで返してもらえません」

などと話す。

そうすると、まひろは、

「まひろは〜、最近、お片付けも頑張ってるしー、嫌いなお野菜も頑張って食べてるしー、カメさんに返してってお願いして」

などと言うようになった。

確かに、頑張っていると思われるときには、

「そうだね。わかった。カメさんとお話してみる」

と言って、取り上げたおもちゃを返してやることもあった。

 

その「カメさん」・・・。

いなくなってしまった。

それも、「救急車」と「消防車」を1台ずつ甲羅に入れたまま。

 

世話は夫が長期出張に行ったときでもなければ一切しなかったが、、、

いなくなったらいなくなったで、

さびしい。

さびしいなあ。

 

 

今朝6時、子どもを走らせてみる

「数字カード法」の取り組み方が誤っていたことが発覚した一昨日。

撃沈したが、なんとか気を取り直す。

 

澤口先生の「教育相談」を受けられたことは、とても恵まれていると言える。

「数字カード」もまたやればいいのだ。正しいやり方を知っている。それも幸せなことだ。

しかも、今取り組んでいる「こばと教材出版」さんの教材により、双子弟、まそらの集中力が向上すれば、前回よりも効果的に取り組めるかもしれない。

 

プラスの考えや言葉は、プラスを引き寄せる。

そう信じる。

 

そして、

「泣いたら何か変わるの?行動しなければ何も変わらないよ!」

子どもによく言うこの言葉。まさに今、自分に言うべきときなのだと思う。 

 

発達障害改善のための取り組みを、グレードアップさせていこうと気を引き締める。

しなければと思いながら、ほとんどできていないことがある。

それは、「走る」ことだ。

昨年6月だっただろうか。東大の研究グループが論文を発表している。

ざっくりと、

「人為的に自閉症にしたマウスに運動をさせたら、自閉症様行動が改善した」

というものだ。

 

運動・・・。

1日10分走るだけでも効果があるようだ。が、そうは言ってもなかなか取り組めないまま年は改まり、今日はもう3月だ。

 

やれることは全部やる!

そう決意し、今朝、まだ暗い6時すぎ、朝食を作る私を残し、双子と夫は外へと出かけて行った。

30分ほどして帰宅する。

なかなか、楽しかったようだ。

 

が、当然のことながら、食事が遅れる。

6時40分に食べ始め、9時になっても食べ終わらない。

8時半の時点で、遊びようのない「車」で食べさせたらと夫に提案。

用事があるので、子どもたちは、結局食べ終わらないまま(食べながら)、歯も磨かずに出かけることとなった。既に車に乗っているので、外出自体はある意味スムーズだったと言えるかもしれないが・・・。

 

朝に「走る」のは現実的ではない。

別の方策を考えなければならない。天気・天候に左右されずに、毎日「走る」には・・・。

頭が痛い。

 

昼食。

今日はお弁当だ。別にバナナつき。f:id:rumraisinn:20200301221855j:image

出先の車内で食べる。

車の中なので、双子たちは、ウロウロしたり、遊んだりすることはできない。

食べるのに要した時間は、わずか約30分。

朝夕食に2時間、3時間とかかっていることを思えば、信じられないレベルの速さだ。

環境作りがとにかく大切だ。

今日の衝撃。「数字カード法」の取り組み方が誤っていた。

今日、タイトルの通り、「数字カード法(澤口式育脳法)」の取り組み方が、誤っていたことが発覚した。

かなり、狼狽している。

 

あの苦しい日々が全く無駄であったこと。

期間をおいて、またチャレンジする必要があること。

 

ただただ、呆然とし、がっくりするばかりだ。

 

誤りとは・・・

双子弟、まそらに、兄、まひろのカードの覚え方を指示したことだ。

まひろが自分で編み出したカードの覚え方では、ワーキングメモリを正しく鍛えることができないらしい。

 

「カードをもう1回やるよ。○○したらダメなんだって」

と言った時の彼らの反応ときたら・・・。

ブーイングの嵐だ。

 

 

澤口先生の「教育相談」を受けずに、「数字カード法」に取り組もうとされている方。

無謀です。

無理です。

不可能です。

 

澤口先生の「教育相談」を受けた上で、今、「数字カード法」に取り組んでおられる方。そして、これから取り組もうとされている方。

澤口先生から言われた通りに、「正確に」実施してください。行き詰まっても、アレンジは不可です。

 

 

時間のロスを埋めることはできない。ただ、無駄に失われたのだ。

取り組んだ3ヵ月も、これから要するwashout期間も。

気を取り直すのに、しばし時間を要しそうだ。

 

 

その昔、仕事をしていたとき、上司からよく言われた。

「あなたは切り替えが速い」

そうだろうか?

そうだろうか?

 

前を見るんだ、私!

「数字カード法(澤口式育脳法)」の取り組みについて

我が家の双子弟、まそら(年中児、自閉症スペクトラム障害)は、2019年6月に「人間性脳科学研究所」の所長であられる澤口俊之先生の「教育相談」を受けた。

その際、澤口先生からは、たくさんの貴重なアドバイスをいただいたが、それらの中で最も重要だろうと思われるのが「数字カード法」の取り組みである。

以下、我が家における「数字カード法」の取り組みついて記すが、澤口先生の「教育相談」を受けておられない方には何の役にも立たないことを最初に明記しておく。今後、「教育相談」を受けようとされている方に、何かしら参考になることがあればと思う。

 

●「数字カード法」にはコツがある

澤口俊之先生の「数字カード法」には、取り組むにあたってコツがある。正しく取り組めていない事例が散見されるとのことで、現在は「数字カード」の販売を行っていないと澤口先生はおっしゃっていた。しかしながら、「教育相談」の場では購入することができる。私も購入させていただいた。f:id:rumraisinn:20200301120620j:image

 

「数字カード」は、中古品がネット上で多数出回っており、入手することはさほど困難ではないだろう。説明書もついており、先生よりお話を聞いていれば、「フムフム」と思って読むことができるが、そうでなければ、やり方を正しくイメージするのは少々難しいかもしれない。個人的には、紙の説明書ではなく動画であったならば、もっと取り組みやすいものになるようにも思う。

なお、澤口先生ご本人より、「数字カード法」の取り組み方をご教示いただいても、その通りに実施するのはかなり困難なのではないかと思う。
自閉症スペクトラム障害の我が子に、
「今から見せるカードの数字を覚えなさい」
と言っても、別段面白くもないこの作業をやりたがるはずもない。基本的に嫌がるのだ。
すぐに他のことをして遊ぼうとするし、ウロウロし始めるし、「数字」を覚えることに集中することなどとてもできない。
しかも、取り組み初めは、「数字」を覚える能力が全くないので、取り組み自体が全く成立しない。
つまり、「数字カード法」に取り組ませることも、「数字」を覚えさせることも、最初の段階でつまづいてしまうのだ。

澤口先生には「楽しく」取り組むことが大事で、できなくても叱ってはいけないと教わるが、子どもが取り組まない時点で、イライラし、「やりなさい!」と言って、叱りつけることになる。
更には、集中して取り組まなかったために覚えられなかったような場合も、「集中しなさい!」とか「真面目にやりなさい!」などと叱ることになる。

「数字カード法」に取り組むのは、はっきり言って、親子共にものすごいストレスだ。我が家の場合は、子どもが泣きながら取り組んだ日も度々あった。
「楽しく」といくら言われても、怒らずに取り組むことは不可能ではないだろうか?と思う。
私に忍耐力や「楽しく」取り組むための「工夫」が欠如していると言われればそれまでなのだが。

そして、どうやっても教えていただいた通りにはできない。アレンジが加わってしまうのだ。
我が家は、双子弟、まそらだけではなく、兄まひろにも「数字カード法」に取り組ませたのだが、まひろは出されたカードの「数字」を覚えるために(忘れないために?)、自分独自の覚え方をあみ出していた。そこで、2枚のカードすら覚えられないまそらに、「まひろみたいにやったら?」とまひろのやっている覚え方を、親の方から指示してしまったのだ。これは取り組み方として、不適切だったかもしれない。

 

 

●「数字カード法」に取り組むための前提条件
①「数(1~9)」の理解

「数字カード法」に取り組むにあたっては、まず「1~9」までの「数」の理解が必要となる。
例えば、3個のリンゴを見たときに、それが「3」であると認識できなければならない。

 

②「数字(1~9)」が読める
「数字」が読めないことには「数字カード」には取り組めない。
「9」のカードを出されて「えーっと、ロク?、キュウ?」などと迷って即答できないようなレベルなら、「数字カード法」に取り組むことは到底不可能だろう。
「数字」を覚えるだけで精一杯な状況において、目の前のカードの「数字」が何かを思い出しているような余裕は全くない。思い出しているうちに、それより前に出されたカードの「数字」を忘れてしまうだろう。出されたカードの「数字」は、即答できるようにならなければなならない。

 

③「数字(1~9)」が書ける
「数字」が書けなくても、「数字カード法」には取り組めるように思うが、駄目らしい。「1~9」までの「数字」は書けるようにならなければならないようだ。どのレベルまで書けるようになる必要があるかは「教育相談」では特には明示されなかったが、澤口先生の著書『発達障害の改善と予防』には、「数字」の大きさや形についてまで記載されている。

 

●「数字カード法」に取り組むにあたって
①「数字カード法」には時間制限がある
「数字カード法」は、何ヵ月あるいは何年と長期間取り組むものではないらしく、著書によれば、通常は「2~3ヵ月」とされているようだ。まそらの場合は「2ヵ月」と言われたが、実際のところは、勝手に3ヵ月間取り組んだ。

②取り組み時間は1日10分
長時間の取り組みは必要ない。まそらの場合は1日10分と言われたが、あまりに集中できないので、30分を超えて取り組む日もときにはあった。
加えて、1日に2回(朝夕)行ったので、合わせると、平均的には1日25分程度(朝15分、夕10分)取り組んでいたと思う。
なお、夕方の取り組みは、入浴も夕食も終わってからで、まそらはもう疲れていたり、眠たかったりで、頭の働きも鈍り、集中力も落ちて、朝と比べると正答率がかなり低くなる傾向にあった。
「数字カード法」は疲れている時間帯では、効果的には取り組めないと思う。

 

③「数字カード」は自作のものでもよい
「数字カード」は自作したものでも何の問題もなく使用できる。
子どもに見せる面(表面)に、はっきりと見やすく数字を書けばよい。また、子どもに何の数字を見せているのか親がわかるように、裏面にも数字を書いておくとなお取り組みやすい。


●「数字カード法」我が家の取り組み
澤口先生には、ざっくりと「まず数と、数字の読み書きをやって、秋からカードに取り組んでください。まずは4枚が目標です」と言われた。
「焦る必要はない」とのことで、ゆったりと「数の理解」から開始。そして、「数字」を読む取り組みも始める。ここまでは、さほど苦労することはなかった。
しかし、「数字」を書く段階に入り、苦戦するようになる。「秋」になっても一向にできるようにはならない。どの程度で「できるようになった」と判断してよいのか全くわからず、「秋」を優先するのか、「数字が書ける」ことを優先するのかの狭間で悩んだ。そして、結局、11月より「数字カード法」を開始したのだった。
この「数字を書く」取り組みについては、実は、現在も継続中であり、また別の記事に記したいと思っている。

 

さて、「数字カード法」だが、初めは2枚から開始した。時間も長くは取らず、数分で、強く嫌がる前にやめるようにした。
当初、2枚くらい楽勝でしょ、と思っていたのだが、弟、まそらは覚えられない。こちらが驚いてしまうほど、全く、覚えることができない。
最初のうちは気にしなかったが、1ヵ月ほどが経過しても、まそらは2枚のカードの数字を覚えられるようにはならなかった。
一方、兄、まひろは、取り組み開始の2日後には5枚、18日後には6枚へと、順調に進んでいく。
私は、まそらに対し、ひどく焦りを覚えるようになった。

このままいつまで経っても2枚を覚えられなかったらどうしよう・・・。
段々追い詰められ、ときには、私が泣きそうになりながら「数字カード」に取り組むようになった。時間も長くかけるようになっていった。

「劇的な効果がある」
そう言われている「数字カード法」。

うちの子には、当てはまらないのかも・・・
そんなうまい話なんて、やっぱりないんだ・・・

そう、気弱になることもあった。

しかし、変化は急にやってきた。「数字カード法」を始めて1ヵ月と1週間が過ぎたある日の朝。
まそらが、急に2枚を正答するようになった。そのまま3枚に進んだ。その日の夜には、3枚も何度か正答できるようになった。
そして、その翌朝。3枚の正答率が取組み後半になり上昇を見せた。夜には、3枚をそこそこ正答するようになり、4枚へ進んだ。

澤口先生より言われた最低ラインの4枚クリアの可能性が初めて見えた。
よかったー。

本当に、本当に、本当に、ホッとした。
いつもいつも追い詰められるような、押し潰されるような思いで育児をする中、こんなにホッとしたのはいつ以来振りだろう?と思った。
この日は、夜中に酔って記事をアップし、翌朝に削除するというようなこともあった。

そして、さらにその翌日。まそらは5枚に取り組むようになった。
2枚から5枚へ進むのに要した日数は、わずか3日だ。一体、彼に何が起こったのだろう?

 

しかし、その後、3ヵ月間の取り組みを終えるまで、まそらは6枚に進むことはできなかった。1ヵ月と3週間、ずっと5枚に取り組み続けた。
5枚の正答率は、日によってかなりのばらつきがあった。
最後の1ヵ月間は、40~90%と正答率にはかなりの幅が見られた。平均的に見るなら、60~70%程度かと思われる。
この「ばらつき」についてだが、本人がどこまで集中できるかにかかっていると感じる。集中できればきちんと覚えられるが、注意が散漫だと全く駄目だ。

あちこちに気がそれ、じっとできずにゴソゴソ動く。そして、覚えた数字をすぐに忘れてしまう。
こうした度合いがひどければひどいほど、当然正答率が低下する。
ここで、考察を要するのが、集中できる日とできない日の「差」は何に起因するのかということだ。
この件については、確証は得ていないし、得られそうにもないのだが、また改めて別の記事に記載する予定だ。

ちなみに、「数字カード法」を終えた現在、日常生活において、「劇的な効果」は見られない。「数字カード法」が適切に実施できていなかったのかもしれないし、「数字カード法」だけでは不十分なのかもしれない。

しかし、いずれにせよ、「数字カード法」に取り組む前に、「集中力」を何らかの手段で身につけておいた方が、「数字カード法」の効果をより高めるられるに違いないと思う。

今、我が家の双子たちは、
こばと教材出版」さんの
『発達支援教育教材シリーズ 中級編 ジャンプアップ 集中力・注意力アップトレーニングシート』
に取り組んでいる。
「数字カード法」の取り組みにより、「集中」することの大切さを強く認識したためだ。何やかにやと「知識」を詰め込む前に、「行動」を自分で制御できるよう「脳」そのものをしっかりトレーニングした方がよいと感じた。
こちらも、また改めて別の記事にしたいと考えているのだが・・・。
こればかりは、こばとさんに許可をいただく必要がありそうだ。
『発達支援教育教材シリーズ 中級編 ジャンプアップ 集中力・注意力アップトレーニングシート』の1ページ目の画像を、当ブログに掲載できればよいのだが・・・。なにせ、私の文章力では、画像がないと、双子たちの撃沈振りをわかりやすく説明することが難しいのだ。
文章だけで頑張れるかな~と思いつつ、今日はこの辺で。

 

双子に関する私の妄想

私が高校生のときの母の言葉だ。

親ばか発言であることは、最初に断っておく。

「美人薄命って言うでしょ。あなたは早く死んでしまいそうで怖いわ・・・」

結局、今のところ、早死にはしていない。美人ではなかったということだろう。

 

こうした思い込みの妄想というのは、遺伝なのか何なのか、私にも結構ある。

今頃?という話だが、子どもの園での運動会。

双子弟、まそらは、入場行進に現れず、その後の競技にも姿を見せなかった。

どこにいるのかと探しに行くと、加配の先生と土を掘って遊んでいた。

 

同じく園での発表会。

最初は歌だった。自分のいるべき位置に立ち、うろうろせずに歌っている。

よかったー!と思ったら、全く違う歌を歌っていた。しかも振りまでつけて。

その後の劇では、衣装に着替えることすらせず、劇の流れとは全く無関係に、ステージ上を1人で好きに走り回った。

 

おそらく、一般的な家庭では、

大きな声で歌えたね!

とか、

台詞をきちんと覚えられてすごいね!

とか、

〇〇の役が上手にできたね!

なんて話になるのだろう。

 

うちは・・・

そんなレベルには到底行きつかない。

その場にいられた

それだけでホッとした気持になる。

どうしてこうも、いつもいつも、こんな思いをしなければならないのか・・・

たまには「普通」を経験したい、と思う。

 

しかしながら、いつも思い出すことがある。

言葉が話せるようになった2歳くらいの頃だろうか?双子兄、まひろが、弟、まそらに向かって頻繁に言う。

 

「まそら、おいでー!」

 

まあ、大抵いつも、悪いことに誘っているのだが、まひろは、まそらによく「おいでー」と声をかけていた。

 

ちなみに、まひろは、まそらとは異なり、私の目には「発達障害児」とは映らない。

そして、私は、そんなまひろの姿を見て思うのだ。まひろが、

「おいで。大丈夫、一緒に行こう!」

と、まそらを私の元へ連れてきたのではないかと。

 

まひろは、自分も危ないことをしようとするのに、まそらが同じことをしようとすると「危ないよ!」と制止するのだ。

まそらも好きに行動しているようでいて、困るとまひろに助けを求める。

 

まひろが、まそらを連れてきたなんて、もちろん根拠のない妄想だ。

 

でも・・・

と思う。

もうひとつ妄想を。

 

双子たちは予定帝王切開で生まれてきた。

大量の出血に備え、「自己血貯血」をし、それでも足りない場合のために「輸血」の同意書にもサインをした。

横になり、自己血を採取している間、部屋の天井に飛び散った血液の跡をずっと眺めていた。

この部屋で、一体、何があったのだろう?

 

ずっと深刻に思ったことなどなかった帝王切開だが、予定の日が迫り、準備が進められる中、

「死ぬこともあるのかも・・・」

と漠然と思った。

 

「(私に)何かあったら、子どもたちをよろしく」

と、夫に念押しもした。

 

そして、生まれてくる子どもたちのために、念のため、手紙のひとつでも遺しておこうと思うようになった。

 

が、手術前夜のことだ。

なんとなく感じるものがあった。

なんとも表現しにくいのだが、

見えないエネルギーのようなもの?

見えないが、柔らかな光のようなもの?

が、病室の私のベッドの周りに集まっているような感じがした。

 

この子たちは、何かに守られて生まれてくる

手術はきっと上手くいく

大丈夫

 

根拠なく、そう思った。

そして、私は手紙を遺すのをやめた。

あの時のことを思い出すと、今でも少し涙ぐんでしまう。

これも、妄想にすぎない。

 

が・・・。

私は早死にはしていないし、

子どもたちは無事に生まれた。

まそらには、まひろがいるし、

まひろには、まそらがいる。

 

結局、大丈夫なのだ。

きっとなんとかなる。

私は私の最善を尽くせばそれでいいのだ。

妄想ながら、そう、、、思う。

鉄製フライパンの錆止め塗装を焼く

フライパンの表面のコーティングが剥がれることが気になり、双子たちのために鉄製のフライパンを買った。あわよくば、鉄も摂取できればとの考えもあった。

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しかし、この鉄製フライパン。買ってすぐに使うことはできない。まずは、表面の錆止め塗装を落とさなければならないのだ。

 

●鉄製フライパンの塗装を焼く

塗装を落とすには、高温のガス火で焼くのがベストなのだが、これが結構難しい。ガスコンロには、センサー機能がついており、高温になりすぎると自動で火力が落ちてしまう。

 

ガスを2つつけて、まずは片方を使ってフライパンを加熱。火力が落ちると、隣のコンロへ移動して加熱。これを繰り返した。そのうち、次第に火力が落ちにくいやり方がわかってくる。

 

意外にやりにくかったのが、底の中央。五徳に乗せると加熱度合いが低くなるようだ。コンロから浮かして全体を加熱する。

 

説明書きには、

全体が青っぽくなるまで・・・

とある。

こういう感覚的な事柄が1番苦手だ。

「青っぽく」って、何だ?

よくわからんと思いながらも、加熱を続けると、なるほど確かに色が変わってくる。全体の色が変わるようにひたすら焼く。

 

焼いていると、煙が出て、匂いもする。換気扇を最大にして行う。

焼ききるまで、なんだかんだと1時間ほどかかった。やれやれ、大変だ。夏でなくてよかったと思う。

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しばらく後、フライパンが冷めてから見ると、色が変わっていない箇所があった。再度、その部分を焼かなければと思っていると、双子が肺炎になった。フライパンはそのままほったらかしとなった。

ようやく双子たちの体調が戻った今週、フライパンを焼きなおす。まだ煙が出る。

 

そして、やっと今日、くず野菜を炒めて油をなじませる段階まできた。f:id:rumraisinn:20200220204356j:image

 

人参などの皮を多めの油で炒める。火の通り方が速い!こんなものでいいかと火を止めてそのままおいておいたら、余熱もかなり強力なようで、人参の皮は焦げ焦げになってしまった。これは、実際の使用時には注意が必要だ。料理ができたら、速やかお皿に移さなければならない。

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炒め終わって、フライパンが冷めたところで、説明書きの通りに、洗剤をつけずにスポンジで洗う。そして、油(我が家はオリーブオイル)を少量たらし、ティッシュで広げて、余分な油を拭き取った。迷ったが、外側も油で拭いておく。

拭き終わったティッシュを見て驚く。色がついているのだ。

何だ、これ(2枚目のティッシュ)?

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人参の色素がスポンジでは落としきれなかったのだろうか?それとも、錆?

いずれにせよ、あと3回くらいはくず野菜を炒めてから、まずは自分が食べるものを調理して試そうと思う。

 

そして、いまさらながら思う。

小さい。

いくら、試しにというつもりで買ったにせよ、もうあと2、3cm大きければよかった。20cmでは、双子の朝ご飯の卵を2個焼けるかどうかという感じだ。

本格的なボリュームの炒め物には当然使える大きさではない。

 

改めて大きい物を買うとして、またこの塗装落としをしなければならないのかと思うとかなり気が重い。

表面が「窒化」してあるものだと、塗装を焼く必要はないようだが、お値段が高くなってしまう。

なんとも、悩ましい。

 

●今日の妄想

今日は、春を思わせる温かで優しい光が降り注いでいた。

自分の身体にも、エネルギーが注ぎ込まれるような気がした。

 

夏の終わり、秋の初め頃だろうか。

なんとなく、次の桜は見られないかも・・・と思った。

自分の身体が透明になり、消えゆくような感覚があった。

 

生物は、子孫を残すことが生きる上での最重要課題だ。子孫を残すことは、すなわち種の多様性を維持することだ。それは、食物連鎖の流れの中で、他の生物(命)を支えることと同義だと思う。

故に、生物は次の命を育まなければならない。

 

私は、その役割を一応は既に果したということになる。子育てはしなければならないが、私がいなくても子どもが飢え死ぬことはないだろう。生きてはいくはずだ。年齢的にも次の子を設けることは難しい。

生物として、今、私は残りの時間を生きていることになる。

 

夢も見た。

もう10年以上も前に亡くなった人が現れて、

「あなたも私が死んだのと同じ歳になったから、そろそろこちらにおいでなさい」

と言った。

 

そんなこんなな私に、今日の世界はエネルギーを与える。

何かが私を生かした。そんな気がした。次の桜もきっと見られるだろう。

 

「そんなに双子の世話を頑張るなら仕方がない。もうしばらくやりなさい。」

 

何かが、そう判断したのかもしれない。

 

ふと、好きなバンドのライブ映像が脳裏をよぎる。

「おまえらー!かかってこい!」

ボーカルが叫ぶ。

 

私も声には出さずにつぶやく。

「かかってこい!」

 

そして、自問する。

何に対して?

 

そう、アイツに決まっている。

「かかってこい!かかってこい!ハッタツショウガイ!」

知らぬ間に、ギュッと唇を噛んでいた。

 

明日も、明後日も、明々後日も・・・、頑張る。

かかってこい! 

 

双子に、「免疫細胞」のこととか、「薬」のこととか・・・

先週木曜から、双子たち(年中児)の病院通いが続く。

今日は、点滴をせずに済み、早く帰宅することができて、随分楽に感じた。

双子たちは、このところ、体調不良につき、昼寝をやたらする。当然だが、夜寝なくて困る。

 

「寝なさい。食べもせず、飲みもせず、免疫細胞も弱ってしまって、バイ菌と戦ってくれなくなるよ!」

と脅す。

さっそく、詳しい説明を求められる。何かにつけ双子の質問に答えるのは厄介だ。

ありがちに、

「雪はなぜ降るの?」

とか、

「水から湯気が出てくるのはなんで?」

とか・・・は、まだいい。

「雪」については、「海から蒸発した水が雲になって・・・」

「蒸気」については、「水の状態変化と言って、液体と気体と固体と・・・」

などと説明する。このあたりは、学校で習ってきているので、教科書通りにどうにかこうにか答えるが、こういう答えられる質問は結構少ないのが実情だ。

 

私は、物理化学や地学、気象分野に弱い。相当弱い。なので、

「昼なのに月があるよ!白いよ!なんで?」

とか、

「夏はなんで暑いの?遅くまで明るいのはなんで?」

などは、弱い上に、教科書的にも習っておらず(記憶にないだけ?)、困ってしまう。

「昼の月」については、「太陽の光が明るすぎて・・・」と適当に言うしかなく、

「夏は」については、「地球というのは、太陽の周りを回っていて、自分自身も回っていて、その回転と軸の傾きと太陽との位置の関係で・・・」とこれも適当なことを言ってしのぐ。

 

そして、体調不良の今、うっかり、

「免疫細胞が頑張ってくれてるから、さっさと寝て余計な体力の消耗を抑えなさい」

などと言ったばかりに、あれこれ聞かれ、余計に寝ない事態になる。

仕方がないので、

「マクロファージとか、キラーTとか、B細胞とか、好中球とか、NK細胞とか・・・」

などと、いつもと同じ説明をまたするハメになる。

すると、今日は新たに、

「サイボウが(バイ菌に負けて)死んだらどうなるの?」

と聞いてくるではないか。

えー、そこまで追求してくるか・・・と思うが、頑張る。

「死んでも新しいサイボウが作られるよ!特にT細胞は胸腺で選びぬかれたすごい細胞だよ!だから、大丈夫だよ!バイ菌をやっつけてくれるよ!」

しかし、双子たちは、追求の手を緩めない。

「サイボウは、いっぱいあるの?」

と聞いてくる。数があれば安心できるのだろうか。

むむむ。記憶が曖昧だ。免疫細胞に限定するなら、なおわからない。

「身体のサイボウは、赤ちゃんで、3兆個。大人だと、、、30兆個、、、くらいかなあ?イチ、ジュウ、ヒャク、セン・・・、寝なさい」

 

子どもの質問に、「正確に」そして「わかりやすく」答えるのは、いつもとてもムズカシイ。

今回の「ヒトメタニューモウィルス感染症」では、病院の尿検査で「ケトン体」と言う言葉を聞いて点滴となり、「ケトン体」だとなぜ点滴をしなければならないのか説明するハメにもなった。

きちんと勉強しておくって、大事だなあ・・・と思う。

 

子どもたちには、何でもできる限りきちんと説明してやりたい。

なぜ、抗生物質を飲むのか。

なぜ、抗生物質でお腹を壊すことがあるのか。

なぜ、抗生物質を飲んだら、ヨーグルトやら納豆やらをしっかり食べるのか。

 

大嫌いな「薬」を飲む理由。知っていれば、少しは納得し、頑張れるかもしれないと思ったりする。「納得できる」というのは、行動を動機づけする上で、とても重要なのではないかと私は思う。

特に、弟、まそらは点滴をするようになって、夜泣きながら起きるようになった。たくさんの薬の服用も大きなストレスになっているに違いない。本当にかわいそうになる。

 

我が家の双子たちは、とにかく薬が嫌いだ。私も必要最低限にしたいといつも思う。

先日、初めての薬が処方された。

ネキシウムだ。

帰宅後、調べる。

アストラゼネカの名前が出てくる。

すぐに、肺癌治療薬の「イレッサ」が頭に浮かぶ。

薬害について、当時は、「医師が安易に使用しすぎた」というくらいの認識だったが、どうも、そういうわけでもないようだ。

「薬はリスク」とは、全くよく言ったものだと思う。

 

先日、点滴を受ける我が子とは別の処置室から、薬に関する会話が聞こえてきた。どうやら、お子さんの薬について、お母さんと看護師さんが話しているようだ。

お母さん「スティックの薬を誤って開けてしまって、追加で出してください」

そのとき、お子さんは吸入をされている様子だったので、私でもすぐに喘息治療薬「シングレア」の名前が浮かぶ。

看護師さん「スティック?シングレアですか?」

お母さん「???」

 

正直驚く。

自分の子どもが服用している薬の名前も把握していないなんて。

余計なお世話にすぎないが、そんなに医者を信じ切って大丈夫ですか?と思う。どんなに素晴らしい頭脳の持ち主でも、人間ですヨ(He may make a mistake.)!

そんな人もいるのだなあ・・・。

私が神経質すぎるのかなあ・・・。

いやいや、何でも、受動的ではなく、主体的・能動的であるべきだと思いなおす。

「指示待ちはイケマセン」

新入社員でもそう教わるではないか。

 

ところで、私も双子から「ヒトメタニューモ」をプレゼントされたようだ。熱はないが、咳に鼻水に頭痛。

まとまりのない記事の言い訳にして、今日は、この辺で。

おやすみなさい。

子どものレントゲン撮影を断る

昨日、双子兄、まひろ(年中児)の

「気管支肺炎」

が明らかになった。

綿棒による検査と、レントゲン撮影が行われた結果だ。

 

今日の受診で、医師より、

「写り方の問題かもしれませんが、肝臓が大きいです」

と言われる。

触診が行われたが、大きくはなさそうだとのこと。

血液検査も行われ、こちらも数値に異常は見られなかった。

が、念の為、月曜に大きな病院を受診するよう指示があった。

 

昨日、一昨日と同様に、2人とも点滴を受け、咳のひどいまひろは、吸入を2回受けた。

終了後、再度、まひろの腹部の触診があり、

「もう1度、レントゲンを撮りたい」

と医師。

 

医療被曝。

危険性が極めて低いとされていることは承知しているが、できれば避けたい。

まひろは3歳のときに、頭部のCTスキャンを受けたことがあるのだが、私は今でもそれをかなり気に病んでいる。

 

私は専門家に意見できるようなタイプではない。が、それでも今回に関しては、必要性に疑問を感じてしまう。

 

触診でも血液検査でも異常がない。月曜に総合病院を受診するなら、当然、総合病院でも検査が行われることだろう。

今、2度目のレントゲンを撮ったとして、総合病院を受診するまでに何かできることがあるのだろうか?と思うのは、浅はかな素人の考えだろうか?

 

「必要ですか?医療被爆が気になります」

と言うと、あっさり、

「じゃあ、なしで。お母さんが月曜まで心配だったらと思って・・・」

と医師。

 

少しのことだが、ストレスを感じる。人の、しかも医師の申し出を拒否するのは結構疲れる。

医師は気分を害しただろうか?

神経質な親だと思われただろうか?

 

今日は、弟、まそらも、兄、まひろと同様に「ヒトメタニューモウィルス」に感染していることが明らかになった。

 

そして出される「抗生物質」。

またか。先月も服用した。

「ヒトメタニューモウィルス」では入院の経験があり、症状が重いことは実体験としてある。抗生物質は対ヒトメタニューモのためではないが、使用は定石のようだ。

 

そして、まだ咳もないのに「咳止め」も出る。

 

咳が出る前から飲ませなければならないものなのだろうか?

 

と思っていると、夜になり、少し咳が出始めたようでもある。まそらは平素より多少の咳はしているので、ヒトメタニューモによるものかどうかは何とも判断できない。

 

そして、喉の痛みも訴え始めた。熱も上昇傾向だ。

これから、また悪化していくのだろうか?

また、回復するまで長くかかるのだろうか?

 

色々と考えながら、悶々とする。

私には、医療についても医薬品についても、専門的な知識は欠片もない。

一般向けの書籍から得る情報が、私の知識の全てだ。それらが薄っぺらなものであることは、よく自覚している。

それでも、その薄っぺらな知識から、薬の使用もレントゲンも必要最低限に抑えたいと思うのだ。

私は今、極端に視野を狭めつつあるのだろうか?

 

子どもが体調を崩すと、とりあえず病院を受診し、原因を確認したいと思う。インフルエンザなどの感染症なら園を休ませなければならないからだ。

が、いずれは治ることが明らかな、命にかかわることのない病気なら、極端な話、ほっておいてもよいのではないかと思ったりもするのだ。

 

専門家でもない自分が、何かを決断しなければならないとき、何を頼りにすればよいのだろう?

何を、そして、誰を信じる?

綱渡りをしているような心もとなさだ。

 

考えすぎだろうか?と自問する。

しっかり勉強をし、経験を積まれた医師がおっしゃるのだ。

レントゲンも抗生物質その他の薬も必要だと。

「はい」

と言って従うべきなのだろうか?

 

わからん・・・。

 

もっと、もっと知識をつけるしかない。素人はどこまで行っても素人にすぎないが、知識はどんなにあっても荷物になるわけではない。

毎日、毎日、何度も「お母さん、大好き」と言ってくれるまそら。

大切な大切な我が子たちを危険にさらすことはできない。

子どもたちに関することについては、「わからん」では、すまされないのだ。

「神経衰弱」に見る「数字カード法」の効果

2月4日、双子たち(年中児)が3ヵ月間取り組んできた澤口式育脳法の「数字カード法」が終わった。

目に見える形として実感できる効果は、日常生活においては特には見られない。

 

が、「数字カード法」終了の翌日、2月5日のことだ。

「数字カード法」ほどではないだろうが、ワーキングメモリを鍛えられるのではと勝手に推察するトランプの「神経衰弱」を久しぶりにやってみた。12月の頭以来振りだ。

 

12月の初め。

「神経衰弱」を子どもたちとするにあたり、トランプの全カードを使うのはさすがに多すぎると思った。そこで、1〜6までのカードを2枚ずつ使って「神経衰弱」を初めてやってみたのだった。

 

双子兄、まひろはカードの位置をそこそこ記憶し、それなりに同じ数字をめくり当てていく。

一方、弟まそらは、ルールの理解も難しく、裏返しに置いてあるカードの数字を覚えることも、集中して遊ぶこともできない。

そして、そのまま時間も取れなくなり「神経衰弱」からはすっかり遠ざかっていた。

 

2月5日、約2ヵ月振りにやってみる。

弟、まそら。

まず、カードの数字を覚えようとする姿勢が見られた。

勝手にめくったりもせず、自分の番に2枚めくり、同じ数字でなければ、また裏返して置くというルールを理解できるようになっていた。

そして、12月(2ヵ月前)より、明らかにカードの数字を覚えられるようになっていた。

 

ただ、12月はバラバラに雑に配置していたカードを、今回は横に4枚、縦に3枚きっちり並べて配置した。その方が覚えやすいだろうと思ったからだ。


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並べ方に若干の違いはあるが、しかし、それだけでまそらがこれほどできるようになるとはちょっと考えにくい。12月は「神経衰弱」に取り組むことすらできなかったのだ。

おそらく「数字カード法」の効果なのだろうと思う。

 

まそらは、以前より覚えられるようになっているのが自分でもわかるのか、「神経衰弱」が楽しいようで何度もやるハメになった。当然、「まそらは強いな〜」と全ての回で私が負けてやるので、なお嬉しいようだ。

 

これからも、ふとした折に、「数字カード法」の効果を見ることがあるのかもしれない。

来年度、就学に向けての発達検査が予定されている。今後も何らかの取り組みを継続しつつ、「数字カード法」の効果が現れることを期待したい。

 

発達障害の改善は、定型発達児の中にいてこそ

・故に、普通級に入らなければならない

・故に、知能を高めなければならない

 

「今」にかかっている。

目標が果てしなく遠い先に見えても、常に常に唱える。

「千里の道も1歩から。千里の道も1歩から。千里の道も、1歩から。」