我が家には、小学2年生の双子の
兄まひろ(反抗挑戦性障害+多動傾向)と
弟まそら(ADHD+自閉症スペクトラム障害) がいる。
この4月、弟まそらは、特別支援学級判定だったものの、特別支援学級から通常学級に移った。
先日、発達の専門病院を受診した。
それに際し、弟まそらの担任の先生に、
「医師に何か伝えておく必要のあることがあれば教えてください」
とお訊ねしてみた。
すると、担任の先生は、
「特に何もありません」
と返してこられた。
そんなわけはないのである。
昨年度の1年間、特別支援学級の担任の先生からは、あれほど、
「〇〇ができません。□□もできません。△△もできません・・・・・・・・・。」
と言われ続けてきたのである。
それが、2年生になったからといって、急にできるようになるなどということは、まずありえない話だ。
ところで、まそらの担任の先生の第一印象。
営業マン。
本心が全くわからない。
言っていることと思っていることは全く違う人だろうと思った。
「すみませんねえ・・・・。」
などと口にされていても、本心では全くそんなことは思っていないでしょ、という感じ。
私もそういうタイプなのでよくわかる。
で、教科書通りの行動。
それも、最新の発達障害児への対応方法に精通した感じ。
褒め方、叱り方、指示の出し方・・・・・。
全てに意図が感じられるのである。
この人には感情がないのかも、と思ってしまうくらい機械なみの模範的指導方法。
授業参観で見る授業も、非の打ちどころがない。
新人研修で使われそうなくらいの模範授業だ。
児童も畑の野菜のように管理され、適切に育てられている感じ。
先生が努力家であるのは間違いない。
最近になって、この人も感情のある人間なのだとようやく感じるようになった。
おそらく、引継ぎか何かで、「うっとうしい保護者だ」と知らされたのではないかと思われるのだが、
新年度当初は、とても身構えておられるように感じられた。
だが、こちらも何も問題がなければ何も言わないわけで、
「すみません」
「ありがとうございます」
を日々、連発しているわけである。
そんな中、ようやく警戒レベルを下げられたのではないかと推察するのである。
で、何が言いたいのかということだが、
要するに、
まそらの担任の先生はとても有能な人である
ということだ。
「まそら君は〇〇ができない・・・・」
と言えば言うほど、自身の指導力の欠如を追求される。
誰からかというと、もちろん私からだ。
保護者のタイプによって、色々なケースがあるかとは思うが、
「〇〇ができました。□□もできました。ただ△△がちょっと・・・。でもよく頑張っていて、できることが増えています。」
私のような保護者にはこうした対応の方がうまくいくと判断されたということだろう。
相手をよく見て、分析し、最適な方法を選択する。
それは、もちろん対保護者だけでなく、児童に対してもである。
まそらのクラスの雰囲気は落ち着いていて、安定感があり、
児童は、前向きかつ、意欲的である。
間違ったらどうしよう・・・というモジモジした感じは皆無だ。
とてもよい雰囲気のクラスだと思う。
なので、今年度と言わず、来年度も担任をしていただきたいくらいなのだ。
私は今年度の担任の先生を信頼している。
結論として、先生は大変かもしれないが、まそらは「通常学級」を選択してよかったということだ。
後悔などひとつもない。
いいことばかりだ。
「できることを伸ばしていきます」
と担任の先生はおっしゃる。
あれ?
このセリフ、他でも聞いたぞ。
そう、私が今、最も信頼している人、合唱の先生のセリフだ。
合唱の先生も、全く同じことをおっしゃっていた。
私が信頼する人というのは、似かよっているのかもしれない。
色々と幸運に恵まれている、弟まそら。
出会いに恵まれ、すくすくと育っていく。
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