彼には、彼の生き方がある

今日は、日常のお話。

「情報」に類することは何もない。

 

4月に引っ越しをしたのだが、まだゴタゴタしている。

荷物の整理も続いている。

そんな折、つい先日、独身時代の仕事関連の書類(自分の資料で、会社のものではない)が出てきた。

こんなものがまだあった?

と、半ば呆れて見ていると、下の隅っこに、色ペンで、でかでかとメモ書きがしてある。

 

See the whole.
If it is me, ・・・?

 

訳すまでもないとは思うが、念のため訳しておくと、

 

全体を見よ。

もし、私なら・・・?

 

といった感じか。

「・・・?」は、「what would I do?」を省略したものと思われるが、確かなことはわからない。意図的に、あえて、「・・・?」なのかもしれない。

 

自分が、なぜ、こんなメモ書きをしたのか、今となっては不明だが、

当時の私はこんなことを意識して仕事をしていたのだな・・・

と、何だか知らない人のことのようで、不思議な感じがした。

自分の担当している業務だけでなく、全体を見渡し、気づいた課題に対して、自分ならどうするかを考える。

そうしたことが、当時、自分には足りていないと思っていたのかもしれない。

 

 

話は変わって、我が家の小学1年生の双子兄、まひろについてだ。

実を言うと、いつの頃からか、気づけば、まひろと私は折り合いが悪い。

人間として合わないのである。

彼は、朝から晩まで、不平不満を言い続けている。

 

「朝から、こんな熱い(冷めた)物を食べさせるなー!」

「ピーマンをそこに入れるなー!もう食べられなくなった!」

「よくこんなおいしくないものを作ったな!嫌がらせするなー!」

「おいしくなーい!こんなまずいものを食べさせるなー!」

「こんな難しいことができるか!こんなのやらせるなんて意地悪だ!」

「こんな問題、考えた人はアホだろ!」

「無理、できない!もうやりたくない!」

「邪魔!どけー!」

「(まそらに)ポケットのあるシャツ取られた!やめーや!死ね!」

「叩くぞ!こら!」

「まそら、おっせーなー!けっとばすぞ!」

「お母さんの物を壊してやる!」

「お母さんなんか出て行け!」

「お母さんなんか死ね!」

「死ね!死ね!死ね!死ねー!」

・・・・・。

 

もう一度言う。

彼は、朝から晩まで、不平不満を言い続けている。

彼の口から、毎日、温泉のように吐き出され続ける暴言の数々。

心底、げんなりし、不快を極めて、イライラするのである。

そして、ときに、何て嫌な子なのだろうと思ってしまう。

 

言葉だけではなく、彼の行動も受け入れがたい。

プールで顔を水につけるなど、ちょっと難しいことは頑張れない。

私とは全く相容れない性格で、

日頃の偉そうな態度はどうした?

チャレンジしろよ!

根性なし!

と、内心では思わずにはいられない。

 

脳科学者の澤口俊之先生は、

「性格の6割は親に似る」

と、著書『幼児教育と脳』に記されているが、全くもって彼が誰に似たのかわからない。

少なくとも、私ではない。

 

私は、まひろのようなタイプの人間には、公私共に極力関わらないようにしている。前に進もうとするパワーが削がれる気がするのだ。

ネガティブな人間からは、全力で離れなければならない。

 

未来の犯罪者予備軍だと危惧してしまうこともあるまひろだが、、、

もちろん、嫌な面ばかりではないと、フォローしておく。

 

彼は、年に何度か、母である私にも誕生日があることを思い出し、「過ぎちゃったけど(あるいは、まだ先だけど)」と言って手紙をプレゼントしてくれることがある。

彼にとっては、

手紙=プレゼント

なのである。

彼らの祖父や、ご近所のおばちゃんに何かプレゼントをするとき、私が用意した「物」に、双子が大抵「絵」や「手紙」を添えてきたからだろう。

 

先日、小学生になってから、2通目の手紙を彼からもらった。


f:id:rumraisinn:20210703205859j:image

 

「おかあさん

だいすきだ おおだいすきだ

よ。ごはん せんたく しょっきを

あらったり あらいもんしてく

れてありかとう。

おかあさん ありがとう。」

 

日頃のイライラからの反動がありすぎて、後で泣いてしまった。

 

 

さて、そんなこんななまひろであるのだが、

この間、少し考えてしまう出来事があった。

寝る時間になっても、彼は筆箱を片付けず、床に放置したままにしていた。

「学校に忘れるよ」と声がけしたが、聞く耳を持たず、そのまま寝てしまった。

そして、翌日、予想された通り、学校に忘れて行った。

専業主婦なので、学校に届けてやれないこともなかったが、懲りた方が彼のためだと思い、あえて届けなかった。

 

その数日後、登校時の集合場所で、おもむろにランドセルを開けるまひろ。

「国語の教科書あるかな〜?」

と言う。

忘れ物をすると自分が困ることを学習したか。

よしよし。

と、思ったが・・・、

そもそも、彼は、すべての教科の教科書・ノートを毎日ランドセルに入れて登校しているのだ。

毎日、時間割を合わせるのが面倒らしい。

私はそんなことをしたことは一度もないので、またもや、

え〜?

いったい誰に似たのだ?

と思うのだが、これは彼なりの工夫なのだと認識する。

全部入れておけば、忘れ物をすることはない。例え、ランドセルが重たくなったとしても、彼には忘れ物をしない確実さの方が重要なのだ。

 

こういうやり方はどうなのだろう?と私は思うが、これは彼のやり方であり、考え方であり、生き方なのだと思う。

誰に迷惑をかけるでなし、好きにすればよい。

もしかしたら、重たいランドセルで、忘れ物をしない上に、足腰が鍛えられて、一石ニ鳥なのではないか。

 

「こうすべき」は、本当にそれが適切なのかどうかよく考えなければならない。

 

See the whole.
If it is me, ・・・?

 

広い視野で見よう。

彼の行動の一つ一つをバラバラに捉えるのではなく、彼の全体を見よう。

そして、「もし、私なら?」の押し付けはいらない。

 

私なら、筆箱をランドセルに入れておくが、彼は入れずに不利益を被った。

そこから得る学びを、何も私が摘み取る必要はない。

私なら、必要なものしかランドセルに入れないが、彼はすべて入れて忘れ物を防ぐ。

彼なりの工夫を、私が否定する必要はない。

 

「If it is me, ・・・?」は、あくまでも私自身に対してのみ使うべきで、彼に対し発動すべきではないのだ。

彼と私は別の人間だ。

彼には、彼の生き方がある。

彼は彼のやり方で、彼の道を行けばよいのだ。

ただし、社会の規範に反すること、暴力・暴言などはもちろん許されない。

 

 

そして、余談だが、我が家の水耕栽培ミニトマト

結局、支柱をすることになった。

説明書には、

20cmほどしか伸びない

支柱はいらない

と書いてあったが、現在ペットボトルの株は伸びに伸びている。

そして、花芽が形成される気配は全くない。

果たして実はなるのか?

 

播種の時期(日照時間)が悪かった?

肥料の濃度に問題が?

 

原因は不明だが、まあ、よい。

「普通」でないことには、もう慣れた。

我が家のトマトには、我が家のトマトの生き方がある。

好きに伸びて、と思う。

どうぞ、ご自由に。


f:id:rumraisinn:20210704134204j:image